サニーデイズ


 ミシェルは屋上のドアを開けて、しばし戸惑った。
 見慣れない姿をそこに認めて。
 東洋人は西洋人に比べて顔立ちが幼いと言われるが、その中でも更に幼く見えるのではないかと思わせるその人物は、壁にもたれて目を瞑り、風で髪を乱していたが、音で気付いたのだろう、ふと目をあけて見上げてきたものだから、大きなベルベックの瞳とまともに目があってしまった。
 知らない人物かと問われれば、そうでもない。
 アキラ・ヒビキ。
 親しい間柄とは決していえないが、同じクラスについこのあいだ転入してきた二人の片割れは、席が近いこともあってか、困っているのを見かねて一、二度だが話したことがある。一言二言。


 少々、気まずい。

 なにせ今は、授業中だ。

 しかもミシェルの苦手なプログラミングで、更に言うなら前回の授業で今日ミシェルを必ずあてると宣言されたにも関わらず、予習をしてこなかった。
 いや、しようとは思ったのだ。
 確かに教科書及び参考書を広げるところまではいきついた。
 が。
 あれはなんだろう。
 いやはや仮にも教科書と名乗るならば、せめて人間の読める文字で書いてほしいものだ。
 コンピューターだけでなく。
 こんなものは人間の読み物ではない。
 そう言って教科書を閉じた。
 要は、努力が結果に結びつかなかったのだとでも言っておこうか。

 と、どれだけミシェルが言い訳に力をいれようが、先週は授業に出席いていた目の前の彼には、ミシェルが逃げてきたということが明白なわけである。
 同じくさぼっている彼が言えた義理でもないだろうが、少なくとも彼は逃げてきたわけではないだろう。


 どうしようかと目をそらしかけたミシェルに彼はへらっと笑った。


「見つかっちゃった」
「あ、いや、俺もさぼり」
「あ、そうなの」

 お仲間だねと呑気にほざく彼は、手招きミシェルを隣に呼んだ。


 そんな彼はまだ転校してきて日が浅いというのに、随分と勇気がある、というか、不真面目というか。
 もう一人の転校生は今ごろしっかり前を向いて、他に類を見ない熱心さで授業を受けているだろうというのに。

 まあとは言うものの、二人ともちょくちょく学校自体を休む。
 何をしているのか、どこにでもいる下世話な詮索者たちが妄想を膨らませていた。
 しかし学校も休んで授業もさぼるとなれば、他人事ながら大丈夫なのかと心配したくなるというものだ。
 余計なことだとわかっているが、ついついしてしまうのは、彼の憎めない人柄だろうか。


「何? お前も苦手なの? プログラミング」

 ずるずると座り込みながら、尋ねる。



 ――空が、青い。


「や、そうでもないんだけど。ってか苦手な授業はでないとうるさいし」
「アレックス?」
「そ」


 アレックス・ディノ。
 同居しているとかいう転校生その2の名前をあげれば、うれしそうに頷いた。
 こういう顔をするから邪推されるのだ――もっともみんなおもしろ半分だろうけど。


「ふ〜ん。つまり、プログラミングなんか授業にでるまでもねーぜってことか」
「そうは言ってないって」
「じゃあ何でサボり?」
「え、何でって……」

 予期していなかったとでもいうように考え込む。
 その様子はやっぱり年齢よりも幼く見えて、なんだか、男に言うのもなんなんだが、可愛かった。
 もちろん変な意味じゃない。
 庇護欲を誘われるとかいった年下の子供に対する域をでないものだ。

 
「特に理由とかないんだけど。まあ強いて言えば、空が」
「空が?」
「青かったから、かなあ」
「はあ? なんだよ、その詩的な理由は」


 結局、サボりたくなったから、とかそんな教師から嫌われるものなのだろう。
 笑ってはみせるが罰の悪そうな顔一つしないことをとっても、顔に似合わず神経は図太そうだ。
 最初見たときは随分と線の細そうな奴だと思ったものだが、認識をあらためたほうがいいのかもしれない。


「あとは」
「何? まだあんのかよ」
「……やっぱやめとこ」
「なんだよ、それ」

 気持ち悪いだろと言って小突けば、くすくすと笑う。


「タバコ吸っていいか?」

 箱を取り出しながら尋ねる。
 別にそれほど好きってわけじゃないけれど、なんとなくもっているうちに、なんとなくずるずる吸ってしまい、そして今は、なんとなく吸いたい気分だった。
 なんだろう。
 キレイなものを汚したくなる心理っていうんだろうか。
 馬鹿らしい。
 わけがわからない。
 口寂しいだけ、だ。


「やだ」

 が、返ってきたのはそんな言葉。
 こんな時間にこんなところにふらっと来るぐらいだから、それくらい普通にするだろうと思って、もともと了承を得ようという気持ちで言ったわけでもなかったのだが、そこまできっぱり言われてしまえばやめざるを得ない。制服の内ポケットに仕舞った。
 人は見かけによらないとは言うが――この場合は見かけどうこうよりも行動か――校則破りがどうのとか今さらだろうに。
 あるいは意外と健康にうるさいタイプか。


「嫌いなのか?」
「吸うほうはいいんだよ。フィルター通してるからね。副流煙は身体に悪い。自分がやってるわけじゃないのに被害被るって損した気にならない? あと。匂いつくとアレックス嫌そうな顔するし。これで吸ったとか言ったら正座で説教決定かな。長いんだ、これが」
「へー。あいつがね」


 クールだストイックだなんだと騒がれている彼のイメージにうるさいという項目はない。
 付き合いが短いと言ってしまえばそれまでだが、どうにも想像が出来なかった。


「それも愛かな」
「自分で言ってんな」

 口の中に何かないと寂しいとぼやけば、はいと飴を渡された。
 どうもっていうか、常備してることに吃驚だ。
 キャラ的には問題ないと思わないでもないけれど、むしろ思うけど、だけどそんな問題じゃない。
 ちなみにグレープ味。
 …………甘い。


「でさあ、さっきの話なんだけど」
「んーどの?」
「プログラミング」
「それが?」
「得意?」

 だったら教えてもらおうかと思って。
 今日は逃げてしまったが、単位を落としそうでちょっとどころでなくヤバいのだ、実は。


「まあ、他の教科に比べたら好きな教科ではあるけど」

 なんとも謙虚な返事は些か心もとないが、ここは贅沢を言ってられる立場でもない。

「じゃあさ、教えてくれないか!?」

 勢いこんで頭を下げたら、一瞬唖然としたのがわかった。
 それはすぐに苦笑に代わり。

「いいよ」

 色よい返事に世界が明るくなった。真剣に。

 ここに神あり。
 サボってよかった。
 いやよくないけど。
 でもサボって正解だ。


 が。


 はい、と差し出された手は、なんだろう。
 は? とわけがわからず首をかしげた。
 すると彼はぬけぬけと笑ってみせてくださった。

「ギブアンドテイク」
 
 神……つーかどっちかってーと小悪魔だ。
 いやいやいやいや教えてくれるというのだから贅沢はいえない。
 それに神様だって免罪符を買わないと救ってくださらないなんて事例もある、立派なギブアンドテイクを実践してくださっている。
 見返りを求めているところでもう謙虚だとかいう言葉は消え去ったが、それはそれとして教えてくれるというのだからもちろん無料なんて都合のいいことまでは考えてなかった。もちろんだ。
 少々願ってみたくらいだ。


「まじですか」
「嘘だよ」

 そして小悪魔は走馬灯のように駆け巡ったミシェルの杞憂全てを肩をすくめて笑い飛ばす。


「賭けをしようか」
「あ?」
「そうだな。君が勝ったら無償で教えてあげる。日時指定もそっちでどうぞ。で、僕が勝ったら、駅前のクレープが食べたいかなあ。でもってこっちの都合にあわせてもらう。どう?」

 賭け、というかラッキーチャンスのようなものらしい。
 なかなか良心的なその内容は、むしろ良心的すぎてこちらの心が痛む。
 普通に考えて後者が妥当だ。
 負けても惜しくないし、勝ったら……勝ったら運がよかったのだと、どこかで借りを返す日もくるだろうから喜んで享受しようではないか。


「内容は?」
「アレックスがいつ来るか。ちなみに僕は場所言ってないから。授業を途中で抜け出してこれるような子じゃないし、終了のチャイムから、そうだな、5分。5分以内にアレックスがここに来たら僕の勝ち。こなかったら君の勝ち」

 そんなものでいいのかと言いそうになったが、彼は意外と自信があるのか余裕の表情を見せている。


「学年で10番以内にまであげてあげるよ」


 ――――のった。




 ……………………っていうか本当に謙虚はどこへ行ったのか。
 比較的好きって話じゃなかったのか。
 本当は得意中の得意、なんだろうか。

 小悪魔はなかなかミステリアスだった。













 かちゃ、と音を立て風に逆らいゆっくりと屋上へ通じる唯一のドアが開いたのは、チャイムから丁度3分後だった。
 教室からここまでは2分強。
 チャイムがなって終了の掛け声があって、荷物を片付けてと考えれば、結論は自ずと見えてくる。


 どうやら彼は教室から真っ直ぐ屋上に向かったらしい。
 ただし、藍色の髪を風になびかせて、緑柱石をはめこんだような瞳をまぶしさのせいかすっと細めて、ミシェルの隣を見てため息をついた様子からわかる。


「やっぱりここだったか」


 本当に居場所は告げられていなかったらしい。

「さすがアレックス」

 さすがとかなんとか言いながら彼は当然のように言った。
 完敗とでも言っておこうか。
 先にも述べたとおり、負けたところでそう悔しいわけでもないが。ちょっと惜しかったなと思うくらいで。


「サボるなって言ってるだろ」
「だって暇なんだもん」
「だもんってお前……。面倒だろうが、その分課題もでるし」
「課題なんて5分で終わる。大丈夫」
「それをやらないから言ってるんだ」
「ねえ、それよりお弁当は?」
「………………ほら。今日のおかずはミックスベジタブル」
「嫌がらせ!?」


 ついでに何でこいつらこんなに通じ合ってんのかな、とかなんとか思うくらいで。











 後日談について少しばかり語っておく。

 まず一つめ、弁当はミックスベジタブルじゃなかった。
 確かに本当にそれだと嫌がらせとしか思えないが、半泣き寸前だったのは、何か嫌いなものでもあるのだろうか。
 にんじんか。
 グリーンピースか。
 コーンよりも上記の二つのほうが可能性は高そうだ。


 二つめ、彼の妙な余裕の原因がわかった。
 教室を抜け出す前にアレックスに「5分以内に見つけられなかったらクレープで」と二重の賭けをしていたらしい。
 なるほどどっちに転んでも自分は痛くない。
 …………と思っていたら、アレックスがちゃっかりしてた。
 5分以内に見つけたのだから奢れと要求。
 結局ミシェルがアキラに買い、アキラがアレックスに買い、というわけのわからない関係ができあがってしまったわけだが。
 ミシェルがアレックスに奢ればそれで済んだ気もするのだが……。


 三つめ、何故だろう。
 ミシェルの横で画面を覗きこむのは頼んだ人ではなく、アレックス。
 僕が教えてもいいけどわからないと思うんだよね、と10番以内まで引き上げる宣言をしたのと同人物とは思えない発言をし、教師役を同居人に押し付けていた。
 それもそうだな、と簡単に頷いた彼のほうが器がでかい。
 しかもわかりやすくて、本当に10番以内に入ったらどうしよう。
 ……………………ちょっとスパルタだが。





 四つめ、そんな感じで友達が増えました。





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