森に飛び込んだからといって目的地があったわけではない。
どうにかしてまかなければとそれだけを考えて走る。
帰り道がわからなくなってしまうことを恐れている余裕はなく、それに。それに、家はもはや帰る場所ではないのかもしれない。
リーチの違いか体力の違いか、おそらく両方だろう。先ほどは聞こえなかった男たちの声が背中に聞こえる。まだ遠いけれども走っても走ってもそれがおいかけて焦りがつのる。
木の根につまづいて転んだ。三回目だ。自分の鈍くささに涙がでてきた。あくまで情けなくて涙がでたのだと言い聞かす。悲しむのは後だ。
うちつけた膝が赤かったように見えなくもなかったが、見なかったことにした。見なければ、膝はじんじんとしたけれど痛くはなかったから。
それよりも心臓が痛い。
起き上がって泥も払わず駆け出して。
だから母が選択してくれた白いシャツはもう真っ黒。
さっきは枝にひっかけてズボンをやぶいた。
汚れた手で汗を拭ったから、きっと顔も酷いことになってるはずだ。
でも生きてるから、足は止まらない。
もう自分を庇護する人間はいないから、このまま独りきりで生きていけるとはとても思えないのに――だって世界は厳しいのだ――それでも生きてるから、死にたくなくて走る。
憎しみよりも悲しみよりも絶望よりも、ただただ死にたくなくて。
だって死ぬのは怖かった。
生きたいという感情を見つけることが出来ないのに、死にたくないと理由もわからない恐怖に走らされてると思うと少し笑える気もする。しかもこれまで生きてきた中で一番必死に走っているというのだから滑稽ではないか。
しかしこのまま走りつづけたところで追いつかれるのは時間の問題。
どこかに隠れてやり過ごした方が生存確率は高そうだ。
というかこのまま走りつづけたら心臓発作か何かで死んでしまうに違いない。マラソンのはじまりとされる某ギリシャ人は長距離を走りつづけ勝利の報告後息絶えたという。自分に置き換えて見るならば、40キロなど冗談ではない。5キロで死ねる。
木の上には登れない。これは決して能力云々という問題でないことを確認しておきたい。
登っている間に捕まってしまう。そうなれば元も子もないのだから。
見失ってくれればいいと自分でもどう走ったのかわからなくなる程迷走を続けたルルーシュだったが、開けた場所にでて、足をとめた。
むちゃくちゃに走っていると思っていたが……ルルーシュはこの場所を知っていた。
木々が生い茂る森の中、村の外れにあるルルーシュの家よりもずっとずっと人里離れて、1つだけポツンと存在する屋敷。
敷地は広く屋敷は大きく、しかしもう何年、何十年も人の手が入った様子はなく色はあせ草木は伸び放題、壁はところ欠けているし何より日が射しているにも関わらず常に薄暗く物寂しい風の音がする。そこは正に廃墟と呼ぶに相応しい。
村では危険だから近づいてはいけませんが合い言葉だ。
幽霊がでるからなどと胡散臭い話を信じる気にはなれないが、そんな話が出来上がるのはわかる気がする。勿論崩れては危険だと子供を近づけないようにする意図が大きいのだろう。
もっともこんな所頼まれてもきたくないが。
雨も酷くなってきた。
薄気味悪い場所に踏み入れるのは生理的に忌避したくなるのだが――ここに入ってしまったら取り返しのつかないことが起きる気がして、今まで近づきさえしなかった――しかしもはやルルーシュにはなりふりを構っている余裕などないのだ。
錆び付いた門をそっと押す。
ギィと耳につく嫌な音をたてながら門は少しあいた。
軽く唾を飲む。危険だ行くなというのなら門に鍵をかけるなど対策をたてるなりしたらどうなのだろう。鍵がかかっているほうが困るというのにルルーシュは理不尽にぼやいた。
手に触れる錆の刺々しい感触を不快に思いながら一気に門を開け放ち、屋敷に向かってひたすら走る。
屋敷の扉は重かったけれど、まるでルルーシュを誘うようにすんなりと開いた。
まだ昼だというのに雨で曇っているせいか、灯りのない屋敷の中は暗く、どこか肌寒い感じがした。がらんとした広さがまたそれを助長する。
だが外から見るほどには荒れていない。
埃の臭いはなく、蜘蛛の巣もない。そっと触ったドアノブには曇りすらなく磨き上げられていることに気づいたとき、背筋に寒気がはしった。
ここはいったいなんだ。
人の気配はしないのに、誰も住んでいないことも確かなのに。
定期的に掃除をしているなんて話などきかないがまさか。いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
どこか身を隠せるところを探さなければ。広間はだめだ。すぐに見つかってしまう。
一番近い部屋……はやめておこう。
隣の部屋を開け、思わず舌打ちをした。ここには何もない。
ついでその隣の部屋も、身を隠せそうなものはなかった。
窓の外にはとうとう人影がみえて焦りが最高潮に達する。
「ガキがこの中に入ったって?」
「めんどくせぇな」
「だが始末しないと俺達の破滅だぜ」
「ガキの戯れ言だが不安要素は消しとかねぇとな」
時間はもうない。
吟味していられないとルルーシュは長い廊下を奥へ奥へとへ走り出した。
遠くへ。誰の手も届かないところへ。ここではないどこかへ。
でないと、殺されてしまう。
母のように。
死ぬのは嫌だ。
死ぬのは怖い。
まだちょっとしか生きていないのに。人生これからじゃないか。
突き当たりの部屋に飛び込んだ。
走ったせいか、それとも恐怖のせいか足が震えていた。
そのまま崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。
死ぬのは嫌だ。それもこんなところで死にたくなんてない。
唇を噛みしめると鉄の味がした。
じわっと涙が滲む。
いっそもう大声で泣き叫んでしまいたい。
神を呪う言葉を吐いて。
拳をうちつけて。
気がすむまでわめいて。
でもできない。まだ理性が勝っている。
癇癪を抑え部屋を見渡すと歪む視界の隅、床に不自然な模様のようなものを見つけた。
最初は光のせいかと思ったが触ってみると長方形に切られていることがわかった。しかも動く。
まさかこんなところに罠も何もないとは思うが慎重に押せばくるりと半回転回り、取っ手があらわれた。まるで上に引けといわんばかりに。
地下の食料庫か何かだろうか。だとすると隠れるのに最適かもしれない。
若干の期待を含み引き上げてみると、そこは残念ながら食料庫には見えなかった。
「階段?」
暗くてよくわからないが地下室にでも続いているのだろうか。
ひんやりとした空気が頬をなでる。
迷っている時間もなければ考えている余裕もなく、だいたいここまできてしまえば上でも下でも食料庫でも地下室でも大した違いではない。
心を決めたというよりはどこか投げやりにルルーシュはそこを降りてみることにした。
蓋を閉めるときに取っ手も直すことは忘れない。
ルルーシュが気付いたのが奇跡だと思えるほどわかりにくいのだ。奴らは見逃すかもしれないと多分に期待をこめて。あまり注意深いようにも見えなかったし。
蓋を閉めたら真っ暗になるだろうと思ったのだが、閉めた途端に灯りがついた。
随分と良くできたからくりだ。仕組みはわからないが。
そうやって人工的なものだと理性が告げるが、まるで招かれているようで不気味だ。
どれだけ放置されていたのかもわからない屋敷のくせにからくりだけ生きているだなんて。それこそ幽霊でも住み着いていると…………いや、馬鹿なことを考えた。そんなものいるわけないではないか。
「行こう」
自らを鼓舞するためあえて声を出した。そうすると行かなくてはならないような気になるからもしかすると自分を追い詰めているのかもしれないなと思う。
一歩また一歩と降りていくたびにカツンカツンと石畳の階段は音を立て、狭い空間に大きく響く。聞こえたらどうしようと心配になるが、ルルーシュの警戒をよそに追いかけてくる気配は全くない。
その階段は、長かった。
螺旋状にひたすら下へ下へと続いている。
一体どこまで続いているのだろう。
ぐるぐると回っているうちにどれだけ降りてきたのかもわからなくなってきた。帰りのことを考えると憂鬱だ――帰れれば、いいが。
それでも止まらずに降りて、降りて、降りて、とうとうドアに行き渡った。どれくらい降りただろうか。太ももが痛い。明日は筋肉痛だ。生きてれば。
これだけの階段の先に部屋がたった一つとはなんだかもったいないような気がするとわかるようなわからないような感想を抱きながら、ルルーシュはその扉を開けた。それは門とは違いすんなりと音もたてずに開いた。
中は比較的小さな部屋だった。
四隅に、これもルルーシュが入ってついたのだろうか、炎がゆらゆらとゆれ部屋の中をぼんやりと照らす。
真ん中に柩があった。
それだけだ。他には何もない。
もしかして、もしかしなくてもここは墓地だったりするのか。地面に埋めてない墓というのをルルーシュは見たことがなかったが、そもそもここは地下だ。宗教が違うのかもしれないし。
というかそんなことはどうでもいいのだ。嫌なところに来てしまったことが問題で。ああ開き直って骨と一緒に隠れてみようか。奴らは見つけてもあけないかもしれない。
この狭い空間に死者と二人きり。
否。
柩の影に何かが見える。
恐る恐る近づいて――。
「ひっ………ぁ、う、あ」
ルルーシュは思わず小さく悲鳴を上げた。小さかったのは、声が喉に引っかかってしまったせいだ。
反射的に距離をとろうと後ろに下がって、足がもつれ尻餅をつく。それでもずりずると尻で後退した。
すぐに壁にぶつかる。もう逃げ場はない。
見なければよかったと後悔が波のように押し寄せてきた。
本当に見なければよかった。余計な好奇心などおこさなかったらよかった。
投げ出された手足、糸が切れた人形のようにうなだれる頭部、黒い水たまりを踏んでしまった――それが何かなんて考えたくもない。
左胸にささった杭。
「………ゃだ、も、や………だ」
こんどこそぼたぼたと涙が溢れた。壊れた水道のように止まらない。
もう嫌だ。なんなのだここは。
おかしいじゃないか。
なんでこんなに綺麗なんだ。外から見たら今にも崩れ落ちそうなのに。
変なからくりなんか作って。なんだって正常に作動してるんだ。
地下には柩しかないし。
その隣には死体が転がっているし。死体なら死体らしく柩に入ったらどうだ。
心臓に杭ってことは殺されたってことなんじゃないか。幽霊ってお前か。
じゃあ何で体温があるんだ。
じゃあ何で血が流れてるんだ。
何で血溜まりが乾いてないんだ。
頭の中が飽和状態になって涙が止まらない。
膝を抱きしめて小さくなる。
もう嫌だ。
怖いし痛いし辛いし悲しいし、世界には不幸しか存在しないんじゃないか。
嫌だ。もう嫌だ。
誰か。
「誰か、助けて」
助けて。
ここからだして。
助けて。
僕を助け出して。
守って。
「助けて、たすけて。たす、けて」
「タスケテたすけて助けて助けて助けて助けて」
同じ言葉だけが頭を回る。
いや、違う。
これはルルーシュの声じゃない。
部屋に反響するこの声は、女の声だ。
はっと頭をあげた。
その声はくすくすと楽しそうに繰り返す。
「助けて、ママ」
「だ、誰だ!?」
「助けて、やろうか」
「誰だ」
「助けてやろうか。ああそうだ助けてやろう。私は優しいからな」
まさか死体がしゃべったのかと非現実的なことを考え、急いで首を振る。
死体は男だ。
では柩の中からか。まさか。
「そんなに睨んだってその中に入ってるのは阿呆の骨だけだ」
……やはり骨は入っているのか。
「お前は誰なんだ」
「神だ」
「嘘つけ」
こんな酷いところにこんな胡散臭い神なんかいるはずがない。というよりいたら何か嫌だ。
だが何度見渡して声の主は見つからない。
「だいたいお前にとって私の正体なんかなんだっていいはずだ。お前は助かりたいんだろぅ?私は助けてやろうと言っている」
いい話じゃないかと声は言うが、悪魔だった場合魂とかとられてしまうんじゃないだろうか。いい話には必ず裏があるものだ。
「そんなことしてお前に何の得があるんだ」
「可愛くない子供だな。だがそうだな、私への対価はピザ一生分で手を打ってやる。安いものだろ」
「単位がわからない」
思っていたものと随分と方向性の違うそれに気が抜ける。ピザが好きな神様なんて初めて聞いた。まあ、確かにおいしいけれど、どれだけ容易すればいいのだろう。たくさん用意したところで腐りそうなのだが。
「お前が生きてる間、私が気が向いた時に訪ねていくからピザを振る舞え」
「本当にそれだけ、なのか?」
「私にはな。私は方法を教えてやるだけだ。その後のことは知らん。自分の責任で実行しろ」
さあ、どうすると神というよりは悪魔みたいな女の声がいちいち命令口調で囁いた。
背は腹に変えられない。答えなど考えるまでもない。
「教えて欲しい」
「契約成立、だな。そこに転がってる馬鹿がいるだろ」
阿呆の次は馬鹿か。知り合いなのだろうか。
「阿呆いわく茶色のふわふわだが、そいつの胸に杭が刺さっているだろう?」
髪の話らしい。茶色の天然パーマであることは間違いない。杭が刺さっているのも間違いない。できれば近寄りたくない物であることも、間違いない。
この部屋で一番不気味なものだ。死の臭いがするのに、生の気配がする。有り得ない。有ってはならない。認めたくない、もの。
「それを抜け。あとは」
「あとは?」
「知らん」
なんと無責任な。
「が、心配しなくても後はどうとでもなるだろうさ。せいぜい長生きしろよ? 私のピザのために」
そう言ったっきり女の声はピタリとやんでしまった。
抜くしかない。
他に方法がないのなら。
それで生きられるのなら。
血濡れた杭を。
そっと手をのばせばぬるりとした感触に滑った。
これが生き返ってしまったらどうしよう――どうしようってどうもしようがない。非現実的なことは女の声を受け入れた時点で拒絶するのが馬鹿らしくなった。
引き抜いて、生き返ったら。
そう、安易すぎて腹がたつに違いない。
片手では滑ってしまってうまくいかなかったので、両手でしっかりともって上下左右に動かしながら少しずつ抜いていく。死体だから痛いだとかは言わないだけましか。死体かどうか、定かではないけれど。
尖った先が見えるか否かというところで、視界が茶に覆われた。
次いで新緑。
とても暖かい色だ。
だが、それが何なのか判断する前にこんどはアカに染まってしまった。
それを、残念に思った。
「ひ、ぁあ、いっ―――――――」
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【言い訳】(反転)
あっれぇ? なんでしぃ様がでてきちゃったんだろう。。。。しぃ様大好き愛してる。
そしてスザクの扱いがひどいorz おかしいなスザクもダイスキアイシテルなのに。
あと前半会話文がなくて正直つまらん。しぃ様がでてこなかったら後半もこの調子でした。全力でしぃ様に敬礼っ!
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