「いいか」
女王様の講義はめんどくさそうな、心底いやそうなそんな言葉からはじまった。
スザクは座れと言われるままに高そうなアンティークのいすに腰かけている。
対するルルーシュはどこからもってきたのかなにやらよくしなる棒のようなものを持ち出してきて、スザクの前に立った――なんていうんだったかなと軽く棒について思考をはせてみるが、ルルーシュがその思考を覗けたら気にすべきところが違うだろうと心底気持ちが悪そうな顔で言っったに違いない。
鞭のように自在な動きを見せてはくれないが、時折手慰みのようにぺちぺちと音をが鳴らされる。
まあその程度なら別段大したことはなさそうだが。
本気で振るわれたら蚯蚓の一つぐらいついてしまう凶器だ。
棒……こんなシンプルな名前ではなかった気がする。
バチ……太鼓しかでてこない。
教えるという言葉がついた気がするのだが。
二文字熟語だった気もする。
教………教――――。
「あ、教鞭か」
ルルーシュにテレパス能力がないおかげでなんとか免れていた悋気だったのだが、しかしスザクの考えなしな一言で全てが無駄になった。
しかもすっきりしたと気持ち良く笑顔で言ってしまったのもよろしくなかった。
「話を聞けと言ってるだろうが!」
今度こそ教鞭はその威力を発揮すべく、スザクの椅子の肘掛けからいい音を出した。
どうやら当てる気はなかったようで、もともと膝の上で手を組んでいたスザクにはあたらなかったが。
元来鞭の類は少しの力でも大きな音をたてることをも目的に用いるものであるから力の程度はわからない。
だがその音にピクリともスザクがしなければ、正しい使い方その3に移行するのはそう遠くない未来の出来事と思われる――だってふりおろされる所も音の大きさも予想通りであればどこも驚くべきことなど見当たらない。
「聞いてるよ?」
「ほう? じゃあ何の話をしていたか説明してもらおうか」
ルルーシュが元からそう高くないトーンを更におとして地を這うような声をだすが、立っているルルーシュと座っているスザク。一段上から見下ろされていることもあいまってある種の色気を醸し出していた――本来は少なからず萎縮すべき位置関係だ。これでは変態とののしられても否定はできない。
だがスザクは可愛いなあと場違いにも思う。
はじめ自分を座らせてルルーシュが立っているのは、学校で教師が教壇に立つように、やりやすいからだと思ったのだが、すぐにわかった。
ルルーシュなりの防衛策なのだと。
立っているルルーシュと座っているスザク、機動性に優れているのは立ち上がる動作がない分ルルーシュのほうだ――個人の能力は無視して考える。
さらに椅子に座っていれば位置の移動はできず、立っているルルーシュが好きに間合いを取れる――どうやら必要以上に近付きたくないらしく、常に一定の空間が保たれている。
自然上から見下ろすことになり、威圧感を演出、つまり己の優位性を示すことができるというわけだ。
ただしそれに対しスザクが抱いた感想が、毛を逆立てた子猫みたいだな、とくればルルーシュも浮かばれない――さすがにいくらスザクがKYと罵られる人間でも、これは伝えていない。言えば失神ぐらいしてしまうかもしれないと思った。
何故か動物が好きなのに好かれないスザクは、威嚇する小動物に手をだせばどうなるか身を持って知っている。
引っかかれ、噛みつかれ。
傷つけられまいと怯えて必死に身を守ろうと暴れる。
怯えさせることは本意ではないので大人しく座っているのだ。
だが手をだしたい。いっそ噛みつかれてもいいから。
「お互い押し付けられた婚約者だから、婚約だけは諦めて受け入れるけど、感情がないから仮面夫婦ならぬ仮面婚約者でいようってことだろ?」
軽く言ったスザクに何が気に入らないのかルルーシュは苛々しているのを隠さず教鞭を打ち鳴らしていた。本来は指し示すためのものであるが、対象がないのでいっそある種の楽器のようだ。
「でも僕はせっかく婚約者なんだから、どうせならいい関係を築いていく方が建設的だと思うんだけど。どうしようもないほど嫌いっていうんならまだしも、まだお互いのことなにも知らないんだよ?」
「どうしようもないほど嫌いだ」
スザクが頑張って、説得しようとする言葉は一刀両断で切り捨てられた。
最初に一目惚れだのなんだの言ってしまったのが悪かったのだろうか。
下手な警戒心を抱かせてしまったのだとしたら過去の自分をぶん殴ってやりたい。が、殴っても言ってただろうからあまり意味はなさそうだ。
だって言いたかったのだ。
綺麗だとか。
好きだとか。
「僕は好きだ」
友人は歯が浮くといって悶えるが、スザクに言わせてもらえればそんな風だから好きな人ができてもそれ以上発展しないのだ。
言えばいいのに。
幸せな気分になれる。
今回の場合お互いにとつけられないねが残念なところだが、少なくとも言ってるスザクのテンションがあがる。
その言葉が彼女を追い詰めるというのは誠に遺憾だ。
好きだからと言って、たとえ婚約者だからといって、彼女に無理を強いることなんかなにもしないのに。
そういうのは気持ちが伴っていないと意味がないではないか。
あきらめる気はない。
が。
先は長そうだ。
でもスザクは事実上はルルーシュの婚約者であるのだし、日本とブリタニアでめったなことにならない限りそれが解消されることもないだろう。反対に言えばたとえ心を掴んだとしても、めったなことになれば婚約は解消されてしまうということなのだが、わからない先のことなど心配しても仕方がない上、当面の目標はまともに話ができること、だ。心配するだけ意味がない。
スザクは腰を据えてルルーシュと友好な関係を築くべく気合いを入れた。
それに反対に言えば、ルルーシュが男が嫌いということには利点もある。
口説いている間に横から鳶にかっさらわれる心配をしなくていいということだ。
ルルーシュは綺麗だから、手に入れたいと考える男など腐るほどいるだろう。その男どもをルルーシュ自ら遠ざけてくるというのだから。
スザクはルルーシュのことだけ考えていればいい。
そして同時にルルーシュの世界の男もスザク一人というわけだ。
はやく絆されてくれないかな、と思う。
彼女が嫌いなのは男という生き物全般なのだ。
スザクという個ではない。となればスザクにだってまだまだチャンスはあるはずだ。
人はとかく例外をつくるものであるし、他人の、たとえ好きな人でも嫌いなところの1つ2つあるものであるし。
スザクが特別の枠の中に括られてしまえば全く問題はない。
人は好意を示してくるものを基本的には邪険にしにくい………と心理学にもあった。
スザクはどれだけルルーシュに罵詈雑言を浴びせられたとしても挫けないよう理由だけざっと並べて、何故か友人に詐欺だと言われた――何故だ。失礼なやつめ。武器と言え――笑顔をほんわりと浮かべた。
「それだ。お互いのことを知らないという割にはお前は私のことを好きだというじゃないか。お前の理論にあてはめればそれこそおかしいだろ」
「おかしくないよ? だって人を好きになるのは理屈じゃないもの」
同じではない。
全く同じではない。
嫌いには「なる」ものだ。
スザクは好きに「なった」のではない。
恋に「落ちた」のだ。
運命の人に出会うのは、まさしく落とし穴に落ちるのに似ている。
意図しないところで突然訪れる。
常に警戒していればもしかすると避けることも可能だが、一度罠にかかってしまえば、もう落ちるしかない。
「そしたら嫌いになるのだって理屈じゃないだろ。どちらも同じ感情じゃないか」
どうやったらこの感覚を伝えられるだろうかと悩むが、どうにも絶望的に語彙が少なかった。
だからどうしても直接的な表現になるのは許してもらいたい。
「そうだね。第一印象で嫌いになってしまうことだってあるわけだし。でもね、好きと嫌いは全然別物だよ」
同じ直線上の対照ではない。
「嫌いは確かに感情だけど、好きは衝動だからね」
至極真剣な顔で言い切った。
少しでも伝わればいいと思って。
「だから私は男が嫌いなんだっ」
………伝わらないか。
誰も性衝動とは言っていないのだが――ないとは言い切れないが、問題はそこではないのに。
やっぱりルルーシュが男が嫌いなのはトラウマでもあるからなのだろうか。
だとしたら可哀想なことだ。
人間の半分は男なのだから、単純計算彼女は人生の半分を損してる――ルルーシュに言わせればその計算の仕方はおかしいと言うだろう。
男というのは1つの属性に過ぎず、是非ともスザクという個に目を向けてほしいのに。
「そもそもルルーシュが僕を嫌いっていうのは食わず嫌いみたいなものじゃないか」
「食いたくない。食わんでもいきていける」
「殿下」
ぞっとすると言わんばかりに身体を掻き抱いたルルーシュに少しばかりため息をついてスザクは立ち上がった。
ぎょっとしたようにルルーシュの足が下がる。
だが自分が敵に怯えた姿を晒したのが許せなかったのだろう。
すぐにスザクをきっと睨みつけて手に持つ教鞭を振るった。
「座ってろ!」
ルルーシュのリーチプラス教鞭の長さ分近づけないが今は別にそれで構わない。
ただ目線を同じにしたかっただけだ――身長差がでてしまうのは仕方ない。
「ねえ殿下」
呼びかければ後ろの壁を打ったところで動きが止まった。
別に目線さえ同じならば近づかないでも構わないのだけど、でもまあせっかくできたチャンスを逃すのももったいない。
ぐいっと顔を近づけて。
「ルルーシュって呼ばせて」
「拒否する!」
瞬間に振り下ろされた教鞭がスザクの腕を打った。
痛かった。
名前を呼ばせろととても近い位置で聞こえたから。
ルルーシュは反射的に足を振り上げた。
今度はうまくひょいと避けられたのが憎らしい。
「あ、ごめん。目が綺麗だったからつい」
覗き込みたくなって。
更に続けられた言葉にざわっと肌が泡立った。
ごめんねと情けなく謝る姿に垂れた耳と尻尾が見えるのは気のせいだろうか。
悪意なんか一切ありませんと訴えてくるその姿こそが罠なのかもしれないが、こんな情けない奴に男だからの一言でビクビクしてる自分こそなんだか情けなくなってきた。
男だと思うから、というよりは、人間だと思うからまずいのだろうか。
犬だと思ってみればどうだろう。
茶色の毛の大型犬。
「………いいから離れろ」
「ルルーシュ」
「座れ」
「……はい」
名前を呼ばれたことに関しては許容する。
反射的に拒否すると言ってしまったが、元々ルルーシュは殿下と呼ばれるのは好きではない。
これだけ軽んじられているくせに呼ばれても、嫌みだとしか思えないではないか。
他に丁度いい呼び方も思いつかなければ仕方ないだろう。
そもそも名前の呼び方1つにそこまで拘るのはあまりにも子供っぽい。
いや、理想的なのは呼ぶ機会もないことだが。
「いいか? よく聞け。私とお前の婚約は婚約という名目にのみ意義がある政治的なものだ。とりあえず外聞があるから一緒の家には住むが、これだけ広いんだ。1日顔を合わせなくてもなんな不思議ではない」
マンションか何かだと思えばいい。
スザクが大人しく座ったのを確認してから先ほどよりもゆっくりと言い聞かせるようにルルーシュは言った。
「不自然だよ。だって」
「話の腰を折るな! 異論はあとでまとめて聞いてやる」
もちろん聞いてやる気などさらさらない。
どうやら彼はそう頭がいいタイプではないらしいので、言葉を重ねてうやむやのうちに頷かせてしまうのがいいだろう。
言質さえとってしまえばこっちのものだ。
できれば誓約書ぐらい書かせたい。
ルルーシュは感覚で動いている人間の手強さをあえて忘れた。
「要は名目さえ維持できればそれでいいんだ。だからお前もわざわざ私に拘らず適当に遊んでおけ。あんまり派手にやらなければ誰も文句は言わん。よくあることだしな」
貴族社会ではむしろ当たり前のことだ。
「本気になって馬鹿なことをしてくれなければそれでいい」
子供は、……面倒だから控えてもらいたいが。ルルーシュはたとえ結婚しようとスザクと子供を作る気など全くないので、駄目だとまでは言えない――触られると思っただけで卒倒しそうだ。同じ理由で人工授精になら付き合ってやらないこともないが、ルルーシュなんかの子供に生まれたところで幸せにしてやれるはずがない。それを考えれば作ったところで可哀想ではないか。ルルーシュには今抱えているものだけで精一杯なのに。
「子供を作るなとは言わないが、婚約解消も離婚はしてやれないからな。後先考えて行動しろよ。母親が納得するなら引き取ってやることはできるが、養育費だけ請求されてもうちには無理だからな」
大騒ぎを起こせば婚約解消できなくもないかもしれない。
だが、確実ではない。
醜聞だけが広まって厄介事を背負い込むにすぎない結果が待っているかもしれない以上、危険はおかしたくない。
しかもスザクにとっては己一人の問題ではなく、国も関わってくる。
それを考えれば愚かな行動は慎んでくれるはずだと思ってはいるが、恋は人を狂わせるという。
ルルーシュには理解できないが、知ってはいる。面倒なことだ。
「以上だ。わかったな」
さあ頷けと声高に命令してやった。
が。
スザクは勢いに飲まれることなく穏やかに言い切った。
「うん君の言いたいことはわかった。僕が君に恋してる分には全く問題ないんだね」
唖然とした。
誰がいつそんなことを話題にしたか。
確かにひっくり返せばそうならないこともないが、問題ないわけがないだろう。
ルルーシュはスザクが嫌いだとはっきりと告げたのだから。
ある種のストーカー宣言に違いない。
「やっぱり僕らが仲良くなるのが一番現実的で効率的だと思うな。それにね、思ったんだけど同じ家に住んでて一回も合わないなんて不自然だよ。同じ家に住んでたらほら、家族みたいなものだろ」
違うと思った。
はっきり言おう。
その論理には無理がある。
証明するのは簡単だ。
だが今度はスザクが口を挟む隙を与えない。
「いや、それは違っ」
「ミレイさんや咲世子さんのことも他人だと思ってる?」
家族と、はっきりと表現したことはない。
大切な友達であり、大切な………。咲世子は、なんだろう。意識したことがない。
ただ、ここにいる限り運命共同体であり、ルルーシュの行動が少なからず影響する人達である。
彼女らをこれ以上苦境に追い込みたくはない。
とにかく大切な人達で…………そう、言葉にしたことがなくても、家族だ。
ああだめだ。
運命共同体で括ってしまえばスザクこそ入ってしまう。
「ミレイと咲世子とお前では条件が違うだろうが」
「主にどのへんが?」
ぬけねけと聞いてくる。
「お前は私にとって押し付けられた人間であって、ミレイたちがここにいるのは」
「僕も自分の意志でここにいるけど。出会い方ってそんなに大切? ただの機会の話じゃないか」
一見筋が通っているようでいてさっぱり理解ができないのだが。
自分がおされぎみだということに気づきルルーシュは一度踵を踏み鳴らした。
「僕はルルーシュが好きだよ」
「だからそれは何故だ」
容姿をあげるのならそんなもの性格の悪さの前では無意味であることをしっている。容姿などただの付加価値だ。
なのに何故スザクは出会ってばかりで好きだといえるのだろうか。
数日もすれば現実に目がいき出すだろうとは思うがそれまでが面倒なのは確かだ。
自分に好意を抱かない人間を敬遠するのは当然のことだ。それは虚しくなってでも傷ついてでも厭きてでも同じこと。
「なんでも理由を求めるのはよくないよ。でもしいて言えばルルーシュが綺麗だから、かな」
典型的な答えに苛立つ。
うわっつらだけしか見ていないくせになんておこがましい。
お前に私の何がわかるのかと怒鳴ってしまいたかった――何もわからないくせに。
ふいたらとんでいってしまいそうなそんな好意がうれしいものか。
「くだらない。最悪だな。外見だけでいいなら」
「初めて君をみたとき」
人形でも抱いていろと吐き捨ててやろうとしたところを遮られた。
「ミロのヴィーナスを思い出したんだ」
両手の欠けた美の女神。
芸術品と比べられて光栄に思うべきか、物と一緒にするな馬鹿にするなと怒るべきか。
意図がわからず判断に迷って口をつぐんだ。
それこそ外見だけ見るならばあまり似ているとは思えない。
「ミロのヴィーナスは、両手が欠けてるからこそ美しいらしい」
「私は五体満足だ」
「そう?」
身体的な欠落を言われているのではないことなで百も承知だ。
付き合いの浅い人形に見破らたなんて首を括りたいほどなさけないが、今のルルーシュがまさしく腕をもがれた状態であることも。足もおられているかもしれない。
しかしそれはミロのヴィーナスとは根本的に異なり、醜悪さには繋がっても、間違っても美しさには通じない。
飼われるために腕をもがれ、抵抗もせず唯々諾々と見せ物になり、そのくせプライドだけ高くて見物人を睨みつける――それ以上はできないくせに。
守るための腕を持たないくせに、私が守ると大口たたいて。
「欠落を美しいとするのは想像をかきたてるからだ。私に夢みたところで虚しいだけだ」
「腕を失って、それでも立ってるとこに意味がある、と僕は思う。失われたのは腕だけなんだよ。僕は芸術は詳しくないけど」
「私を馬鹿にしてるのか」
「一応きちんと君らのことは調べてきたんだ」
当然だ。
婚約者のことを知らずにくるなど愚の骨頂。
だから過去のことをスザクが知っていることに対しては忌々しく思っても、その話題をださない限り許容せざるを得ないと思っていた。あくまで、話題をださない限り。
人の過去をほじくり返すような悪趣味な人間は最低だ。
「だからもっとすっごい何もわからないような甘えたお嬢様か、飼い慣らされて虚ろな人か、あるいは絶望に浸って悦に入っている人を想像してたから」
正直驚いたのだという。
「欠けたところはあったけど、それでも」
立ってた。
「まさか初対面で睨まれるとは思ってなかったけどね」
くだらないくだらないくだらないくだらない。
それは恋ではない。
性格の悪い男だ。
それはただの興味ではないか。
ルルーシュは見せ物ではない。
「守るための腕がないから残った全身で立ちはだかって、とても危うい」
でも綺麗だという。
「だから思ったんだよ。僕が守ろうって」
「ふざけるな!」
馬鹿にするな。
言われた言葉にかっと血が上って、それだけを叫ぶように投げつけるとルルーシュは部屋をとびだした。
完全な衝動だったから理由は後付けだ。
見下されているのだ。
守りたいですらなかった。
好意の押し売りに吐き気がする。
いや、本当は悲しかったのかもしれない。
対等ではないから――そんなもの望んでいなかったはずなのに。
姉が肩を怒らせて足取りも荒々しく部屋に向かう背中を見送って、ナナリーはそっとため息をついた。
これは相当だ。
少し離れていたし進行方向の反対側にいたし電気をつけていなかったから暗くて見えにくかったのかもしれないが、だからといって姉がナナリーの姿に、気配に気付かないなんて今までなかったのに。
相当、頭に血が昇っているらしい。
だがだからと言って責める気などナナリーにはこれっぽっちもなかった。
むしろいい傾向だとまで思う。
これほどまで姉の心を掻き回せた存在がいただろうか。
あの冷静なルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを。
答えは否、だ。
七年前。
母が死んでから、ルルーシュはその感情を抑えるようになっていた。
正確に母が死んでからなのか、それともナナリーの意識が戻る前に何かあったのか、ナナリーにはわからないが、それでもルルーシュが変わったのは、必死に変わろうとしていたことだけは感じ取った。
庇護を失ったルルーシュが、今度は守るために。
たった十歳だったのに。
今のナナリーが15だからそれより5年も幼かったというのに。
生きていくためだったら、守るためだったら人はあそこまで強くなれるものなのか――力は示さなかった。おもねり、庇護を乞い、むしろ端からみれば弱者が足掻いているようにしか見えなかっただろう。
けれどナナリーは知っている。
ナナリーだけは理解している。
ルルーシュが常に冷静だったこと。
流されるのではなく事態を上から見つめていたこと。
繊細な駆け引き。
だれも評価しない。
むしろ評価されたほうがルルーシュにとっては宜しくないのだろうが。
ナナリーだけは知っている――確かめたことはないけれど、ミレイも。C.C.も。
あれは紛れもない強さだ。
そうやって全てを押し殺してきたルルーシュが、ここにきて初めて心乱されている。
あえて冷たく凍らせていたルルーシュの心が…………まだ、溶けないけれど。
彼なら、と思うのは甘い期待なのだろうか。
必要にかられてナナリーの姉は己を犠牲にする道を選んだ。
自分のためだと言うけれど、本当に1人だったらもっと違う方法があったに違いない。
だから、今があるのは、ルルーシュの選択で、ナナリーのせいだ。
後悔も、必要以上に自分を責めることもしていない。
それこそルルーシュを侮辱することだ。
だけども願うのだ。
ナナリーは今が幸せだから。
これ以上辛い思いをしないでと。
ルルーシュを守ってくれる人が欲しい。
肉体的ではなく――あれもこれもと望んでも叶わない。本当は物理的にも守って欲しいけれど。だって姉は自分を省みないから。
氷ってしまった心を溶かして。
その柔らかい心がこれ以上傷つかないように。
彼ならそれが出来るのではないか。
淡い期待をこめてルルーシュが飛び出してきて、今は閉まってしまったドアを見つめる。
彼なら出来るかもしれない。
でも望んでいるのはナナリーだ。
彼一人に放り投げて朗報をただ待っているわけにはいかない。
ナナリーでは、ダメなのだ。
守れない。
痛みを紛らわせる麻薬にはなってやれるけど、それは毒なのだ。
痛みを感じないといって、増やしていってしまう。
背中を、守ってくれる人が欲しい。
そのためならばどんな努力だって惜しまないだろう。
それがたとえ、ルルーシュの意志に逆らうとしても。
たとえ、踏みにじってしまうとしても。
嫌われて、しまうとしても。
だってルルーシュだって、勝手にナナリーを守るではないか。
だからナナリーだって勝手にするのだ。
嫌われる覚悟はもう決めた。
お願いだから、傷つかないでこれ以上。
血を流しながら笑わないで。
怖いのは、失ってしまうことだけ。
きゅっと拳を握った。
少し移動すればシュッと軽い音をたてて簡単にドアがあいた。
リビングのドアは誰も拒まないよう設定されてる。
中にいたのは当然のごとく一人だ。
ナナリーは目が見えないからその人が何をしているのか、どんな表情をしているのかわからない。
ただ代わりに発達した残りの感覚を使って、彼のため息が途方に暮れていることを知るだけ。
枢木スザクだ。
姉の婚約者。
押しつけられた婚約者――ルルーシュは受け入れない。
でも彼は、無償の「好き」をくれた。
ルルーシュにも。
ナナリーにもだ。
「スザクさん」
「ナナリー」
驚いたような響きはなかった。
もしかしたら外にずっとナナリーがいたことを知っていたのかもしれない。
「ごめんね」
「何がですか?」
「ルルーシュ、怒らせちゃった」
その調子があまりにも悪びれないものだったからナナリーも笑ってしまった。
悪戯に成功した子供みたいな口調だ。
「まあ。ちゃんと謝ってくださいね? お姉様は怒るととっても怖いんですから」
ナナリーもくすくす笑いながら言ってやった。
「許してくれるかな?」
「大丈夫ですわ」
簡単に請け負った。
根拠はない。
希望のようなものだけ。
ただ、ナナリーが彼の味方につくのならルルーシュは許すほかないだろう。
姑息な手だが。
「お姉様は狭量な人間ではありませんから」
「うん。ルルーシュは優しいよね」
どうしよう少し嘘かもしれないと思った言葉がむしろ彼によって肯定されたから驚いた。
まだ出会って3日なのに。
その間に受けた仕打ちに優しさが見えたというのならそれは嘘か変態ではないかとちょっと不安になる。
叩かれたり蹴られたり罵声をあびせられたり…………。
あげてみてもう一度思った。
やっぱり変態のほうだろうか。
複雑そうな表情をするナナリーを見てスザクが笑った。
「ルルーシュは優しいよ。目を見たらわかる。僕に対しては思いっきり警戒してるみたいだけど、毛を逆立てた子猫みたいで可愛いよね。ナナリーはルルーシュが大好きだろ?」
「はい」
大きく頷いた。
どうしよう。
奇跡みたいだ。
こんなにちょっとなのに、こんなにルルーシュを理解してくれる人がいるだなんて。
とっても運がいい。
だってそれが婚約者だというのだ。
ルルーシュはロクに彼のことを知りもせず、知ろうともせずはねのけるけど、もったいないとナナリーは思った。
「だけど僕、動物には嫌われるタイプなんだよね」
寂しそうに言われて、ナナリーはもう一度大きな声で大丈夫だと繰り返した。
「わたしは好かれるタイプです」
ルルーシュはもっと好かれるタイプだ。
一見人間には冷たい人間だと見られてしまいがちなのだけれど、動物にはちゃんとわかるのだとナナリーはそれを目の当たりにしるたび思う。
でなければ猫が膝の上で微睡むわけがないのだ。
それを考えるとスザクも動物なのかもしれない。
猫……というよりは犬っぽい。
ルルーシュは犬が好きだと公言しているので好都合だろう。
「ナナリー?」
「こつを教えてさしあげます」
「ほんとに?それは心強いな」
残念ながらナナリーには子猫の手懐け方はわからないのだけれど、幸運なことにルルーシュのほだし方ならちょっとわかる。
「わたし思うんですけど、きっとスザクさんは構いすぎなんです」
「…………やっぱり?」
自覚はあるらしい。
「猫さんは天の邪鬼ですから追いかけたら逃げてしまうんですよ」
犬は逃げたら追いかけるので、ルルーシュはルルーシュでスザクのあしらい方が下手だ。
「でもね、こうなんていうか、餌おいておいで〜ってやってるとちょっと離れたところで行っていいのかなってぐるぐるしてるとこが可愛くてね、ついぎゅってしたくなるんだよね。わかる?」
わからなくもない。
だけど残念ながら姉と彼の関係はそこまですら行ってないのが現状だ。
「だめです。そんなことしたら猫さんが潰れちゃいます」
さらに恐慌状態に陥って抱くどころじゃない。
「でもお姉様は遠くにいても近づいてきてくれませんから」
「難しいね」
「いいえ。だから警戒されずに近づく方法を考えるんです」
近づいて、手をだしてはダメ。
そこでぐっと我慢する。
そうすれば興味を持って触りにくる…………かもしれない。
「近づいたら警戒されてそれだけで逃げられちゃうんだけどなあ」
「じゃあ、逃げられない状況を作りましょう」
少し考えて言った。
警戒されずに近づく方法は確かにナナリーにも難題だ。
近づくもなにも遠目で確認するだけで警戒してしまうのだからそれこそ背後から近づくしかない――そんなことをすればまた警戒心を強めてしまう。
だけど逃げられないようにするくらいだったらナナリーにもできる。
「任せて下さい。わたしが横にいたらお姉様は1人で逃げたりしませんから」
「協力してくれるの?」
「はい」
でも。
条件がある。
「もしスザクさんが、絶対にお姉様を諦めないってお約束してくださるのなら、わたしはスザクを応援します」
「ナナリー」
「わたしはこんなですから、お姉様の荷物になるばかりなんです」
「でもその荷物がないとルルーシュはきっと重りを失ってどこかへ飛んでいってしまうよ」
本当に目がいい人だなと思う。
「荷物で殴るぐらいの人だったらよかったんですけど、お姉様は荷物を守ってしまわれるのです。だからスザクさん。お願いです。お姉様を」
「守るよ、約束する」
大言をはいているようには感じなかった。
ただ当然のことを今更確認するかのように。
自信の出どころがいまいちわからなかったのだけれど、まあ今は、約束してくれるだけでいい。
「じゃあわたし達、共犯者ですね」
日本では小指を絡めて約束するのだとスザクが教えてくれた。
「近づく方法なんですけど」
「なんか貢いでみようか。何がいいかな」
「そういうことはわたしよりミレイさんのほうがいい気がします」
そうだ、彼女ならきっと素敵なアイデアをくれるに違いない。
「なのでスザクさん。ミレイさんと同盟を結んできてください」
「同盟?」
「そうです。みんなで逃げられないように囲っちゃいましょう」
弾んだ声で言ったナナリーにスザクが感想を零した。
「ナナリーを敵にまわすのはやめたほうが良さそうだな」
「もちろんです」
自信をもって頷いた。
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【言い訳】(反転)
スザクとナナリーが手を組みました。ナナリーかわいいよナナリー(またか)
教鞭を思いだせなかったのは私ですが、何か!?
途中で思い出したのでスザクさんにも思い出していただきました。
教鞭ルル子よくないですか?ハァハァ
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