アニャルル 3


 私は恋を知らない。

 

 小説にあるような、燃えるような思いも、狂おしい嫉妬も、女の子たちが話すようなときめきも、持ったことはない。
 自分が知らないからといって、くだらないと馬鹿にしたことも、かといって恋がしたいと特に望んだこともなかったが。
 どちらかと言えば無関心に近かったようにも思う。

 かといって今知った、一目見て恋に落ちた、だんなてどこかの漫画のような出来事がおこるわけでもなく、ただ、なんとなく、「恋」という単語を思い出したにすぎない。
 なんとなく、近いのかもしれないと思って。


 携帯のデータの中の、名前も知らない男の子の写真。
 データを消すことも移すこともせず、ずっとある。
 おそらく昔、その写真を撮った当初はその意味を知っていたんだろう。
 だから手元からはなさなかった―ーそう考えるのが自然だ。


 だがそれはあまりにも幼い頃の話で。
 既に意味を失ってしまって久しかった。


 けれど消すにも移すにしても、時期を逸してしまっていて。

 だからその男の子は、ずっと彼女とともにあった。
 アーニャが携帯を手放さない限り。
 いや、もしかすると、その写真があったから、手放せなくなってしまったのかもしれない。
 そんなことすら考えた。
 考えてしまった。

 
 だって、そう思ってしまう程に、その子はアーニャの思考を占めていたのだ。
 記憶にないことが、気持ち悪くて、絶対に思い出してやるんだと考えた。

 彼の名前、声、素性、自分との関係。
 考えて。
 考えて、考えて。
 考えて考えて考えて考えて考えて。

 その子が頭の中で話はじめるほどに考えて。
 自分でも何をやっているのだろうと思う。


 彼がアーニャと名前を呼ぶ。
 ふわと笑って振り返る。
 ちょっと困った顔をして手を差し伸べてくれる。


 覚えていなくて、知っているのは写真の中の一瞬だというのに、彼は――彼女の中の彼は――くるくると表情をかえた。
 
 だが、結局どれもしっくりこなくて、また考えるのだ。

 知りたかった。
 彼が何者なのか。
 自分の何なのか。
 せめて名前を、呼びたかった。

 おそらくこんなもの、恋とは言えないのだろうが――自分の中の彼に、あるいは恋に恋をしているだけ。誰か一人のことだけを寝ても覚めても考えてるところだけは恋と類似していると思うのだけれど。それももう何年になるか。我ながら気が長い――でも真実もあった。

 知りたい、というその気持ち。

 好奇心と言い切るには時間は長く、存在が大きくなりすぎた。
 焦れるようなこの思いは、もはや病気に近い。


 周りの人間はアーニャを何につけても関心の低い、無感動な子供と評価したけれど、それは完全には正しくない。
 
 周りへの興味があまりなかったのは事実だ。
 だって彼以上に心惹かれるものがなかった。

 だけど決して無感動だったわけじゃない。
 感動するに値するものなんかなかったじゃないか。

 

 そういえば不思議なのは会いたいと思ったことはなかった。

 

 ――いや、不思議なことではないのかもしれない。
 彼はずっと彼女の中にいたけれど、現実の彼は「アーニャの中の彼」ではない。
 夢を壊されるのが怖かったから、一応現状に満足していた。

 

 

 

 


 つもり、だった。
 
 それが笑ってしまうほどに簡単にくずれてしまったのは、その「現実の彼」を見た瞬間だ。
 確信が音をたてて崩れおちた。
 かわりにすとんと落ちてきたものがある。


 ああ、これだ、と。

 本物を欲しているわけではないと思っていたのに、見た瞬間に心奪われた。
 あの瞳にうつりたい。
 ここにいると認めてほしい。
 知りたい。
 「男の子」ではない。
 「彼」の名前が知りたい。
 呼びたい。
 呼んでほしい。


 声は、かけられなかった――やっぱり、怖くて。
 彼の象が壊されることにではない。
 もうそんなのはどうでもいい。
 あの輝きの前に、他のものは無意味だ。
 だから怖かったのは、拒絶されることのほうだ。
 知らないといわれ、興味がないとつきつけられることだ。


 正直無理矢理連れていかれた学園祭なるものに、ジノほど興味はなかったのだが、あの時ほどジノの無駄な行為に感謝したことはない。
 なんとか写真だけでも撮った自分がむしろ偉かったとさえ思えてしまう。
 もうこれは身体にしみついた習慣だ。
 記録におさめて、そして眺めるたびに後悔した。
 なぜあの時、声をかけなかったのか。
 もうほかにチャンスなどないかもしれないに。
 なぜ手をのばさなかったのか。

 知らないと言われれば、知ってもらえばいいだけなのに。
 興味がないといわれても、これからじゃなんでダメなのか。
 自分のおろかさにため息がでる。
 写真ばかりながめて。
 空想はもうやめた。
 偽物なんか、本物を知ってしまえばもう価値がない。
 満足できない。


 ほしいなんて身の程知らずなことは言わない。
 ただ近くに、行きたかった。


 だからこれはきっと必然だった――運命なんて言葉は嫌いだ。
 これは自分がひきよせたチャンスだ。
 もう間違えない。

 


「ルルーシュ」



「ルルーシュ、ルルーシュ、ルルーシュ」


 やっとわかった彼の名前。
 しかも彼はアーニャを知っていた。
 調べたから、ではなく、名前を呼んでくれたその声にはまぎれもない親しみがあった。


 馬鹿だ。
 自分は、本当に馬鹿だ。
 彼は覚えていてくれたのに、忘れてしまっていただなんて。

 

 敵?


 何の話だ。
 彼は自分の、絶対だ――今決めた。


 絶対が、苦しそうに顔をゆがめる。
 そんな顔をしないで。
 アーニャまで痛くなる。

 そっと伸ばした手を、彼は拒まなかった。
 さっきまで仮面にかくされていた白いほほにふれる。
 体温が低い――ひんやりとした。


「ルルーシュ」


 泣かないで。


「望みは、何?」


 苦しまないで。

 

「ただ幸せにと、思ったんだ」


 傷つかないで、これ以上。


「願をかなえてやりたかった」


 私が。


「あの子の」


 あなたの。


「妹の、ナナリーの、願を」

 

 願をかなえるから!

 


「でももういいんだ」
「よくない」


 自分でも思った以上に大きく響いた声に驚いた。
 ルルーシュもきょとんとしてアーニャを見る。

 言われた意味を理解したのは、それからだ。
 順序が完全に逆になってしまった。
 だから出てきた少女の名前に反応するのも遅くなってしまったのだ。
 変に横たわってしまった沈黙。


「…………ナナリー?」


 つい、行ってしまったのか、それとも試されてたのだろうか。


 ナナリーという名前はそう珍しいというわけではない。
 だけど。
 どんなに検索をかけても思い当たるのは一人しかいなくって。


 そうだ。
 ルルーシュは、ゼロは何をしようとしていた?
 皇女殿下は誰のことを語っていた?


 それは、つまり。

 

「ナナリー皇女のお兄様?」

 

 つまり?

 

「…………殿下?」

 

 死んだとされている第11皇子の名前ぐらいは知っていた。
 本当はついこの間まで、ナナリーとともに生きていたことも。
 ナナリーがいまだにその生存を心から信じていることも。
 知っていたのだが、つながらなかったのは、ルルーシュという名前よりもナナリーの兄としての意識が強かったせいだろうか。
 そもそもこんなところに皇族が転がっていてたまるかというのもある。


 運命とはかくも数奇なものか。


 だが考えてみればそれならば辻褄がある。


 顔を見せない反逆者――見せれるわけがない。
 処刑されたはずなのに、生きていたこと――皇帝も己の息子は殺さなかったか。それが息子だからか、他に理由があるのかは定かではないが。
 そして今日の新総督拉致未遂と――否、総督を、ではなく、ナナリーをさらいにきたのだろう。いや、これも違う。正当な権利者が、ナナリーを取り返しにきたのだ。
 完全に無気力化した姿――それはやはり、捕まってしまったことに対する絶望ではなかったか。まあ、変だとは思っていたのだからすっきりした。


 このことをおそらく枢木スザクは知っていた。
 だからあんなにも段取りがよかったのか。
 まるでゼロが来ることが、何をしに来るかも、すべてわかっているようだった。

 なるほど。
 やっとすべてが一つにつながった。
 黙っていたことに対いて理解はできるが、なんとなく、おもしろくないのはどうしようもない。
 次から冷たい態度で接してやろう。
 あの男がナナリーについてきた嘘の数々が思い出されて思った。

 ランスロットにハドロン砲をうちこんでやろうか。
 事故を装って。

 

「ゼロはナナリーのため」

 ルルーシュは地面を見ながらうなずいた。

 

「ああ。一人よがりな行為だとはわかっていたつもりだったんだけどな。ブリタニアの制度の中でナナリーは幸せになれる環境がないだろう? 国が彼女を否定してるんだ。弱者として。それに、皇族として戻れば利用されれ、政治のコマになることがわかりきっていたから、死んだものとして身をかくして暮らしてくるしかなかったんだ。それも、人にたよってだ」


 強者が弱者を虐げない。


 ゼロの謳い文句。
 あれは本心だったのか。


「いつ裏切られるか、捨てられるかわからない状態に、一歩でも間違えればそのまますべてが終わってしまう危険の中に、いつまでもナナリーをおいておくわけにはいかないんだ。せめて、ナナリーだけでも幸せにと、思ったんだけどな」


 こぼれるのは自嘲の笑みだ。
 空虚な。

 そのナナリー本人にみごとに否定されたよ。
 だから、この存在にももはや意味がない。


 そう言い切った彼に対し、アーニャは正直ふざけるなと思った。
 これはナナリーのために思った。

 

「それはおかしい。あなたは一人よがりだといった。それは、否定されることとわかていたという意味ではないの」

「そうだな。わかっていた。だが」


 実際に言われると違うか。

「彼女だけでもと言った。その考え方がその彼女を何より傷つけることも」
「……ああ」
「私は彼女がどれだけあなたを思っているか知っている」

 重いの強さ。
 深さ。
 彼の行動の結果にまつ、彼女の絶望。
 そう長いつきあいでもないアーニャにさえ容易に想像できるそれを、兄がわからないはずがない。

 それでも。
 その上で。

 選んだといったではないか。
 なのにここにきて放棄するのか。
 わかりきっていたことを突き付けられただけで折れてしまうのか。

 情けなくて腹がたつ。


「その彼女の気持ちを裏切って、それでもなそうとしたことは、その程度のもの? 求めたのはそれだけの価値を認めたからではないの」
「けれどナナリーが決めたことなら、どうしてその意思を踏みにじれる!?」

「それでも。今傷つけても、その先の幸せを選んだのなら最後まで貫き通すべき」

 でないと誰も救われない。
 今も傷つけて傷ついて。
 未来さえ絶望的だなんて。


 はっきりと言い切ったアーニャをルルーシュがまじまじと見つめる。


「君は、俺の敵だろう?」

 さびしい笑顔だった。


「私はナナリー皇女殿下が好きだから。幸せになってほしいと思ってる。だけど今の彼女に幸せはない。ルルーシュ、あなたにもわかると思う。この先にも、おそらくない」


 それが本意か。
 結果を、何より未来を与えようとしていた男にとって、それこそが最悪の結末ではないのかとつきつけた。


「ナナリーの意思を尊重したいんだ」
「いまさら」
「ああ。そうだけど」
「なんでも許容すればいいってものでもない」


 互いの愛情の深さは本当に感服するけれど。

「それに、あなたはしらない」
「……何を」
「彼女が選んだのは、すべてあなたのため。あなたの選択がすべて彼女のためであったように」

 クリスマスキャロルではないが、ほんの少しだけずれてしまった互いの重いが、見えていない。
 お話はそれでも特に支障なく終ってしまったけれど、このままでは二人ともボロボロになってしまう。
 少し、見方をかえるだけであきれるほど簡単に完結してしまうはずなのに。
 なんと虚しいことだろう。

 

 ならば、私が、かえてみせよう。




 かえてみせよう。

 だってこんなにも二人がいとおしい。
 これだけで理由なんか十分だ。

 

「あなたに見つけてほしいから。そう言った。目立つように」


 ただしこんな不純な動機でやるからこそ中途半端なことはできないと。
 顔をあげて語った。


「選びたくて選んだわけじゃない。彼女は、不幸だ」


 本当はあんなところにいたくないのだと、兄のそばにいたいのだと、一人で泣いていたのを見たのは偶然だった。
 一人ひっそりと、涙をながす姿に、声なんてかけられなかった。
 気丈な子。
 かといって去ってあげることもできなくて、悪趣味だと自己嫌悪に浸りながら、そこにいた。

 


「あなたは彼女を裏切って、泣かせた。なのにここまできて諦めるなんて許されない。立って」


 間違った過程といわれることは確かにつらいことかもしれないけれど、だけど。

 

「間違った結果に何の価値がある」


 ない。
 言い切ったアーニャに、しばらくぽかんとした顔を見せていたルルーシュが――こんなに長くしゃべったのは初めてかもしれない。ちょっと疲れた――ふと微笑った。


 この顔。
 この顔だ。

 ふいうちに欲しかったものが与えられ歓喜のあまり踊るかと思ったぐらいだ。


「君はやさしいな」


 やさしくなんてない。
 結局アーニャは、自分のため以外には何もしていないのだから。


「だが君はラウンズだ」


 捕まえなくていいのか。
 それとも見逃してくれるとでも?
 君がルールを破るわけにはいかないだろうと言ってくる彼は、誰のことを言っているのだろう。

 ゼロを捕まえて皇帝に突き出し、その手で彼の妹の手にふれた男のことだろうか。
 アーニャは彼ではない。
 同じにされるのは不愉快だった。


「見逃してあげると言えば?」
「そうだな。ナナリーに伝言を頼みたい。愛してる。必ず会いに行くからと」

 

 顔を覗き込んでみたが、見逃してほしいと言っているようには見えなかった。
 何を、望んでいるのだろう。
 アーニャは何をすればいいのだろう。

 よく読みとれなかったから考えた。


 ルルーシュの望みはナナリーの望みだ。
 ナナリーの望みは、ルルーシュだ。

 なら、もっと簡単な方法があるではないか。


「会わせてあげる。直接言えばいい」

 は?
 と疑問符が浮かんだ。
 あれだけの戦略を練る頭をもっているくせに変なところで頭の回転が鈍いらしい。
 アーニャは何も難しいことは言っていない。言葉の意味そのままだというのに。


「それは、一度君につかまれとでも言っているのか? だがそんなことしても兄としてナナリーに会えるわけでは」
「2つだけ、私の条件をのんでくれたら、私が、ルルーシュ、あなたにかえしてあげる」

 徐々に見開かれていく紫を見つめた。


「ばかか、わかっているのか!? それはブリタニアを裏切るということだぞ!」

「ひとつ。名前を呼んで」


「きけ!」


 ルルーシュはそう言うけれど、だってもう決めてしまったのだ。


「ふたつ。名前、呼ばせて」


 騎士にしてなんて言わなかった。
 騎士じゃだめだ。
 騎士では二人の主人をもてない。
 なりたいのは、命令を受ける立場じゃない。
 逆らえないのはいやだ。
 だって二人は自分をおろそかにしすぎてる。
 アーニャはアーニャの意思で。


「ルルーシュ。私があなたを守る」


 二人を己の意思で。
 やりたいように。
 だから守れるくらい近くにいることを許してくれたらそれでいい。
 名前を呼んで、聞こえる距離に。
 呼ばれたら、振り返ることができる位置に

「君はまだそんなことを言っているのか。俺はもう」

 

「呼んで」

 

 

 

 

 

 

 


「アーニャ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「アーニャ、走ったら転ぶよ?」
「転ばない。ルルーシュじゃないから。ねえ、ルルーシュ、ルルーシュ! あたしは強くなる」
「え? あ、ああ、うん。アーニャならきっとなれるよ」
「そしたらあたしをルルーシュの騎士にして」
「君を? 年下の女の子に守られるのはちょっとやだな。それに僕は守るより守りたいんだ」
「じゃ、じゃあ、友達でもいい」
「何言ってるんだ? 友達だろ?」
「あたし妹じゃない」
「…………でも、小さな女の子だよ」
「大きくなるもの。強くなる。だから、強くなったら、あたしを認めて」
 









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【言い訳】(反転)
ねつ造幼年時代が別人過ぎて泣けてきました。
アニャルルで書きたかったことがここで既に達成された件について