アニャルル 2


 目覚めて一番、とびこんできたのはピンク……だった。
 罪の意識と共に思い出す妹のそれより情熱的な。


 そのピンクの髪がルルーシュの頬をなでるくらいに近くにあって、驚きのあまり状況判断が遅れてしまった。
 いや、急に起きあがらなかっただけましだ――頭をぶつけるところだった。


 だがだからといって事態が少しでもよくなるかと言えばそんなことはない。


 ルルーシュは一瞬で己の置かれている状況を最低限、ここから読み取れる限り理解した。
 結論は。


 まずい。

 

 なんとも間抜けなこの一言に尽きる。

 明るい視界は仮面を奪われていることを示す。
 さらにマスクもおろされ、体勢は寝こけていたルルーシュが悪いのだが、圧倒的に不利だ。

 場所は砂浜と海。
 空は明るく日差しは強い。
 頭上のほうには木が生い茂っている。

 これもまたユーフェミアを思い出さざるを得ないシチュエーションだ。
 まさかまた無人島とでもいうのだろうか――調べてみないとわからないが、可能性はなきにしもあらず。


 だがユーフェミアの時とは明らかに違う点がある。
 ルルーシュの顔をまばたきもせずに見つめる少女は、年こそユーフェミアより下に見えたがパイロットスーツを着込んでいた時点で100倍はやっかいな相手だ。


 しかも一風変わったどう見ても特注のパイロットスーツ。
 少女がナイトメアを操縦すること自体珍しいというのに、その奥に見えた機体は量産型ではない。

 などなど他にも様々な少女の正体を示す証拠があったが、実はそんなものをあげるまでもない。

 

「アーニャ・アールストレイム」


 ナイトオブナウンズだ。
 調べていないわけがない。

 アーニャ・アールストレイム。
 年は14。
 史上最年少でラウンズ入りを果たした天才少女。

 

 以前無人島に流された時とはっきり異なる事柄が三つある。

 一つ。彼女が守られる立場だったユーフェミアとは違い、守るために戦うことを生業とする騎士であること。
 二つ。ルルーシュが防衛のための手段を持たないこと――銃は当然のごとく奪われていた。
 三つ。彼女は紛れもなく自分の、ゼロの敵だということだ。


 示される状況は漢字にすれば三文字。


 絶望的。

 

 でももう、どうでもいいかとなげやりに、思った。

 ああいけない。
 この思考パターンはいけない。
 堕ちるところまで堕ちていってしまう。
 わかってはいた。
 問題は、とめようと思えないことだ。


 その代わりにつらつらと考える。
 考えるべきことだけは幸いに腐るほどあったので。

 たとえばスザクの同僚と何故こんなところにいるのかだとか。
 上から眺めるだけで敵意がないのは何故かとか。


 試しに相手の反応を窺いながらゆっくりと身体を起こせば、彼女はすんなりとどいてルルーシュの横に座り込んだ。


 手を伸ばせば敵であるゼロを捕まえることができるのにだ。さらにはその時間が十分あっただろうに、拘束の一つもされていないのが理解できない。
 ただしじっと見つめる視線だけは外されることがない。


 捕らえられもせず。
 かといって殺されることもなく。

 敵だからといって、顔を見られたからといって消してしまおうという気もおきず。


 空虚な時間がながれた。


 不思議な感覚だ。
 何をしているんだろうか。

 

「ナイトオブラウンズが、こんなところで一体何を?」


 返事は返ってこなくても別にいいか。
 それぐらいの気持ちでぽつりとつぶやくように問いかけたルルーシュへ、彼女の答えはシンプルだった。


「さあ」


 どうやら彼女もわからないらしい。


「くっ、はは」

 

 これが笑わずにいられようか。
 目的も意義も何もかも持たない人間が二人、ああ、なんと間抜けな構図か。


「あははははははは」

 何も楽しくないのに。
 一度傾いてしまった水はもう戻らない。
 笑いが自然にこぼれた。
 更にとまらなくなった。

 

「何が、おかしい」

「何が? おかしくないことがないじゃないか」

 

 「なんで笑う」

 不可思議と顔に描いた彼女の言葉にルルーシュはようやく笑いをかみ殺した。


「さあ?」


 ふざけたとしか思えない返答にアーニャの表情がひくりと動いた。

 

「なんでだろうな。笑うぐらいしかできないからじゃないか。そういう君は」


 食い入るように見つめてくる瞳をルルーシュも真っ直ぐに見つめ返した。
 昔はもう少し感情の伺える眼をしていたと思うのだが、どうだろう、読めないのは己が読もうとしていないからだろうか。

 


「これから何をしたいんだ、アーニャ」


 アーニャ。
 フルネイムで呼ぶのとは全く違う、親しい友人に呼びかけるかのように柔らかく響いたルルーシュの声音にアーニャが息を呑むのが空気の震えでわかった。

 何かしら計算があってそんな呼び方をしたわけじゃない。
 ただ、呼んでみたくなった。
 感傷だ。
 普段ならくだならないととりあいもしない感情。
 ナナリーの言葉が頭の中でまわる。

 

 間違っている。

 

 と。

 彼女は敵だ。
 そんなことをしたところでルルーシュを慰めてくれるわけでもない。
 だから半分八つ当たりで、残りの半分は投げやりだ。


「お前は誰だ」


 途端に剣呑になった声に彼女がルルーシュを知らないというのに、この状態を作り出したことを知った。
 少し、意外に思った。
 彼女は敵に情けをかけるような闘い方を好まないようにデータからは読み取れたから、ルルーシュを知っていたから、いや正しくは覚えていたからか、だからこんな不自然な状況を作り出しているのかと思ったのだが。


「ゼロだ」


「仮面の名前は聞いてない。知りたいのは彼の名前だ」

 

 ぐいっと押し付けられた携帯。
 写真。
 過去の記録。
 己の姿。
 手の届かない幸せ。


「お前は誰だ」

 アーニャの声は硬い。
 自分の携帯の画像なのに知らないというのもおかしな話だが、無理もない。
 当時のルルーシュはせいぜい九つ十、アーニャはナナリーよりも一つ年下になるから五、六歳ということになる。
 一度しか会ったことのない人間の名前など忘れて当然だ。
 だからむしろその写真のデータが未だに残っていることのほうがルルーシュにしてみれば驚きに値するというものだ。


「知りたいのは名前か? それとも君との関係か」
「全部。あなたの全部が知りたい」


 すごい口説き文句だ。
 色めいたものは一切ないくせに、ぐらついたのは誰かに縋りたかったというだけでは説明がつかない。
 おそらくそれが彼女の真実だったからだ。
 真実。
 嘘つきには触れるのさえ恐ろしい言葉。

 

「知ってどうする。敵の素顔を知ろうとするのは愚かしい行為だ」
「あとで考える」
「後悔するぞ」


 ルルーシュの情報がではなく、その姿勢が戦う者である彼女を傷つけるだろう。


「私だって人間。後悔の一つ二つぐらいする」

 …………そういう問題の話ではないのだが。
 いやわかっている。
 彼女も馬鹿じゃない。
 全て理解した上での言葉なのだろう。
 優先順位の問題だと言い切った。

 好奇心はネコをも殺す。

 

 ああけれど、それで彼女が悩もうが苦しもうがなんの関係があるというのだろう。
 悩まないかも、苦しまないかもしれないし、たとえそうだったからといってルルーシュの行く末が変わるのか。
 変わらないのなら、それ位の意趣返しさせてもらってもバチは――今までの分を考えればないに等しいに違いない。

 


「ルルーシュ」

 

 ランペルージとも、ブリタニアとも名乗らなかった。

 

「ルルーシュ」


 アーニャがそっとルルーシュの名前を声にのせる。
 懐かしい響き……ではない。
 あの時の子供は、もっと、何もなく呼んでいた。
 こんな確かめるようには、自分に教えるようには呼ばなかった。
 こんなに感情はなかった。


 すべては時間のなせる技だ。
 あの幸せな日々から、もう長い長い時間が流れてしまった。

 時間に流されて、こんなところにまで来てしまった。

 

「ルルーシュ。ルルーシュ。ルルーシュ」

 

 一定のリズムを刻んで。

 

「知ってる、気がする。でもわからない。あなたは、誰」
「誰だろう。もう、よく、わからない」
「ゼロ?」


 ゼロでもある。
 けれどもそれだけ。


 ゼロはついさっき、その意義を失った。
 
 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
 果たしてそんな存在は本当にあったか。


 ルルーシュ・ランペルージ。


 ナナリー・ランペルージのための存在だった。
 これも、もういらない。
 ナナリーは選んだのだ。
 誰かの庇護下にいることではなく、自分の足でたつことを。
 守られるだけでなく、自分も戦うことを。
 逃げるのではなく、現実に立ち向かおうとしている。

 だから、ナナリーを隠して守るだけのルルーシュ・ランペルージはもういらない。


 ならば、何が残っているというのか。
 ただの亡霊だ。
 初めから生きてなどいない。
 あの男も言っていた。

 そもそも生きていたことなどあったか。
 死んでいる――呪いの言葉が身体中に巻き付いている。

 生きていると、むりやり思い込もうとしていただけなんじゃないか。

 

「仮面を外したのは君だろう」

 だからゼロではないと。

「ルルーシュ」
「その名前は果たして意味を持つか」


 何も知らない彼女がその言葉の意味が理解できたとは思わない。
 けれどアーニャは疑問を投げかけたりせず、少し考えるそぶりを見せた。

 

 そして何を思ったか、ルルーシュに手を差し伸べてきたのだ。
 そっと、華奢な手がルルーシュに触れた。

 

 少し、ナナリーに似ていた。


 









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【言い訳】(反転)
比較的まっとうにアニャルルになってきたのではないか、と。