するり


 どうしても、見つからない。
 見つからなくて、見つからなくて。
 探して探して探して探して探して。

 見つけた、と思って手をのばす。
 捕まえたと、思った瞬間するりと手の中から抜けていってしまう。

 するり、するり……するり。


 つかまらない。

 つのる苛立ちに、彼女は思いっきり壁を蹴った。




「お前らは鯰かっ!」



 ――いい音がした。

 思っていた以上にいい音がした。









 クスクスという笑い声と、深いため息が同時に背中から聞こえ、カガリはしばらく振り向けなかった。
 それでも意を決して、心の中の掛け声とともに振り返ると――彼女の今の座右の銘は攻撃は最大の防御だ。


「ここの壁は薄すぎる!」

 わめいた。


 空いた穴をさりげなく背中に隠し。

 お姫様はさらにクスクス楽しそうに笑うし、目のあってしまったお目付け役は頭をおさえてしまったが。
 その上バタバタと派手な足音まで聞こえてきてしまって、今度頭が痛くなったのはカガリのほうだった。

 この足音は、彼女しかいない。
 通り過ぎてくれないものかと願ってはみたが、ああ、カガリが一体どんな悪いことをしたというのだろう――答えは簡単だ。壁に穴をあけた――天が彼女の願いを聞き届けてくれることはなく、部屋のドアは、今度はドアが壊れるのではあいかと思われる音をたてて勢いよく開かれた。
 いっそ壊してくれないだろうか。
 不埒なことを真剣に考えた。
 だが相手はカガリよりも年輪を重ねているせいか、ぎりぎりの力加減というものをよく知っていたようで、壁にぶつけられたドアは、壁もそうだが傷一つ見当たらない――いや嘘だ。傷はある。が、それも彼女がつけたものだ。いつだったかもう忘れてしまったが。


「お嬢様!? 何事ですか、お怪我はっ?」

 壁に少々…………。


 この場合むしろ怪我でもあったほうがよかったかもしれない。
 心配してもらえるし。
 まあ叱られるのは……、後回しになるだけだろうが。
 しかも壁を蹴って怪我をしたとかなればカッコ悪すぎる。
 前言撤回だ。



「なんでもない。ちょっと足がすべっただけだ」

 ちょっと足が滑って、たまたまそこに壁があって、当たり所が悪かったのか、小さく傷ができてしまったくらいだ。

「壁を蹴破った」

 はははと笑って言ったカガリをよそに、お目付け役がチクった。
 なんて奴だ。
 お前だけはずっと自分の味方だと信じていたのに、と芝居がかった口調で訴えかけるには彼女は役者が足りなかった――なんのことはない性格的に羞恥が先立って無理だった。
 うまくいけば意外な言動で全員の動きを止め、その隙に逃げられたかもしれないのに、と夢は広がるばかりだ。


「表現が悪いぞ。ちょっとへこんだだけじゃないか」

 嘘だ。
 黒い空間が見えている。


「事実だろうが」
「壁がやわすぎるのが悪いんだっ!」

 手抜きの設計だ。
 偽装があったんだ。
 もう老朽化がはじまっている。
 耐震構造がなってない。
 などなど言いつなぐカガリを、ゴヨウショウノミギリとやらから聞きなれた響く声がさえぎった。

「お嬢様、言い訳をなさるどころか責任を他になすりつけようなど、マーナはそのようなことを教えたつもりはありません。ああ、嘆かわしいことです。いいですか……」

 そのままくどくどと延々に終わる気配を見せない説教モードに突入したのを見て、カガリは床を睨みつけた。
 今日は厄日だ。
 それもこれも全部、あいつらのせいだと。











 マーナにこってりとしぼられたカガリを待っていたのは、マーナがいる間ずっと微笑んでまるで人形のようにそこに座っていた彼女の、それでも笑いたりないのかクスリと溢す声。
 二人きりにされてまで――マーナはどこかに行ってしまった。キサカは壁の修復のため人を呼びにいった――笑うラクスを横目で睨んでやると、あらあらごめんなさいといって彼女は口元を押さえたが、やはり目は笑っていた。


「カガリは本当にお元気ですわね」

 厭味だろうか。
 それとも素直に聞けないカガリのせいだろうか。
 苦々しい面持ちにもなる。


「ふんっ。あいつら見つけたら首根っこひっつかんで、壁の修理をやらせてやる」

 今ごろ壁の修復に眉間に皺をよせているだろうキサカには悪いが。

「それまでこのままですか?」
「……あと2,3個あけておくか」

 壁の傷が心の傷なのだと耳元で騒いでやろう。
 いや、それを考えると、2,3個ではむしろ足りない。
 10個20個とあけておくべきか。
 ……今あけると見苦しいから、目の前であけてやろう。

 もっともそれも見つかっての話だが。


「今度は何でしたの?」

 苦笑にかえて、水色の瞳が真っ直ぐにカガリを見てくる。
 促されて思い出し、また気分が悪くなって渋面をつくった。


 事の発端は一つの情報だった。

「あいつらを月でみかけたって話を耳にしたんだ」
「月、ですか」
「あいつらが子供の頃育ったところだろ。だから」

 ありえそうな話だと思った。
 確かに出来すぎた話だと頭をよぎりもしたが、二人が行きたい場所と思えたそこは、他に比べてやはり期待が大きかった。
 期待していた分落胆も随分なものだった。


「二人がそこを訪れたっていうのは確かみたいなんだ。だけど滞在してたのはせいぜい三日だ。しかも!」

 テンションとともに上がっていく音量を一旦切って、カガリは椅子に身体をおとした。

「もう三ヶ月も前の話だ」


 声から力がぬけていった。
 三ヶ月前といえば丁度彼等がここをでていった時期と重なっている。
 終戦直後の混乱にまぎれてというが、何故今ごろになってそんな情報がでてくるのか。
 何故今までは何もみつからなかったのか。


「情報が錯乱してますのね」
「…………させてるんだろ」

 根拠があったわけではないが、拗ねるようにカガリは言う。
 
 今度のことも彼等がわざと情報を開示したのだとして、彼女らの目を逸らすために――それもありえる気がする。
 確証などなにもないのだが。
 もはやここまでくると疑心暗鬼に近い。

「見つけたと、今度こそつかまえたと思ったんだ」

 見つからない。
 つかまらない。
 あげくのあてにはまんまと罠に掛かる。

 もしそれを一切の良心すら痛めることなくやっているとしたら……。
 見え隠れする彼等の本気にくじけそうで、カガリは涙をこらえなければならなかった。


 だが……。

「では黙って踊ってさしあげるおつもりですか」

 だが、譲れないことがある。


「あいつら、するするするする逃げていくんだ、いっつも! 前世は鯰か鰻かなんかなんだ、きっと。つるつるぬるぬる。だから、今度は手袋して捕まえる!!」

 滑り止めつきの。

 拳を高くつきあげたカガリにラクスが破顔した。


「カガリはお強いですわ、とっても」




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