雨に濡れて


 記録のないような大昔から天の恵みと謳われてきた雨。
 水なくしては植物は育たず、動物も生きられず、しかしときに破壊をももたらす。
 ただ受け入れるしかない自然を人は神のなすものとし、日照が続けば雨乞いを、雨が続き河が氾濫し人に被害をあたえれば祟りと呼び、人身御供をささげた時代もあったという。


 随分と昔に教わった知識だ。
 幾つぐらいだったか正確には覚えていない。
 十になっていただろうか。
 歴史としてだったか、ただのマメ知識だったか、机が並べられた教室でぼんやりと話を聞いていたのはぼんやりと覚えている。
 ああ、きっとキラは覚えていないだろう。
 その隣でつっぷしていたのだけは思い出すまでもない事実だ。

 育った月でもその後の故郷でも、雨はしっかりと管理され、予告もなく降ってくるということはなく、河の氾濫などあろうはずもなかった。
 だがそれが異常なのだ。
 人は昔から自然とともにあった。


 そんなことに今更になって感動を覚えるのはやはり実物を見てみなければわからないということもあるし、そんな些細なことに感動できるくらいに心に余裕ができてきたという証でもあるのだろう。

 初めて地球におりた時、こんなことに感動する余裕などなかった。
 飛び魚に感動する友人の話も右から左へ通り抜けていたのだ。
 頭の中は、すれ違う――いや、そんな簡単な言葉で片付けてしまっていいはずがない。戦争を、殺し合いを、していたのだから――幼馴染のことで一杯で。
 そして――――。

 血塗れた記憶。


 守るために戦った。
 戦うしかなかった、
 それは事実だ。
 だが、それを掲げて人を殺したというのもまた、ただの事実だ。
 言い訳はできても、言葉で飾ることが出来ても、事実は事実として消えない。

 友を見殺しにし――そんなつもりはなかったといっても、後から考えてみればそうとしか思えない。実際に殺したのが誰かだなんてそんなことは関係ないのだ。アスランの迷いが、弱さが、彼を殺した――トールを――彼はアスランにとっては他の、今まで手にかけてきたものと同じ、ただの敵でしかなかったが、ある人にとっては友人であり、またある人にとっては恋人だった。それはまた、他の全ても同じだが――そして、キラを手にかけた。
 キラを、殺した。
 死んでなかった。
 それは結果。
 だがアスランは、殺した。
 あの時確かにキラを殺した。

 他、名も知らぬ者たち。
 数もわからない。
 殺せるから……生きていたから、敵だから。
 殺した。
 殺して、殺して、殺して、…………殺した。

 身体中血まみれだ。
 それは軍に入った時、わりきったはずなのに……。

 たまに思い出す。
 思いだなさないほとんどの時は、忘れてる。
 どちらがいいのか悪いのか、そんなことはわからないが、結局わりきれていなかったらしい。


 空を見上げて思った。
 流してくれないだろうか、と。











 流れないことに安堵するくせに。





















 雨はめんどくさい。
 湿度は高くなるし、傘はささなきゃならないし、おかげで他の荷物はもちにくいし、鞄が濡れるが嫌だ。中の教科書が濡れるのがもっと嫌だ。
 さらに悪ければ車に水をかけられる。

 技術がいくら進歩しようとも天気を完全に予測するのは難しい。
 今日も突然ふってきた雨にアスランがでがけに渡してくれた傘をさしながらキラはそんなことを思う。

 今日のは別に天気予報が外れたわけではないが、朝は晴れていたのにと思うと不思議だ。
 月やヘリオポリスの管理された天気なら、朝晴れて昼雨がふろうが、そんなものなのだと納得もできるものだが。



 帰ったらまずシャワーをあびようと心に決めて帰宅したキラを、しかしいつもの柔らかい声は迎えてくれなかった。


「ただいまあ? アスラン?」


 聞えなかったのかもと思い、もう一度声を張り上げてみたが、やはり返事はない。
 静まり返った薄暗い家というのは、自分の家であろうがそう楽しいものには思えない。

 買い物に行ったのだろうか。
 そう考えてすぐに打ち消す。
 鍵が開いていた。
 確かに彼はどこか抜けているところもあるが、こういう方面でうっかりミスをするというのは考えにくい。
 ならば寝ているのかと思って、一通り部屋をまわってみたが見付からなかった。

 まさか何かあったのではと当たり前の心配にいきついたキラが顔をあげた向こう、ガラスを隔てたところに見慣れた背中を見付けて安堵した。



 ガラスの、窓の外。


 だが、その事実が示すことに気付くのにそう時間はかからない。


「アスラン!」

 大事に守って持って帰ってきた鞄を無意識に下に落とし、たかだが数歩の距離を走る。
 透明なくせに存在する窓が邪魔だ。
 乱暴に開け放ち、その向こううっすらと雑草なんか生えだした地面の上にぼんやりと空を見上げて突っ立っている彼の腕を、キラは特になにも考えず、掴んで引っ張った。
 2人して家の中に転がって、もうちょっと力を加減すればよかったと思ったのは、背中が痛みを訴えてからだ。

 転がったままキラはアスランの背中に腕を回す。
 
 冷たい。

 当たり前だ。

 髪から、顔から、服から何からぽたぽた水が滴ってくる。
 キラの髪に、顔に、服に。


「何、やってんのさ、君は」

 キラの上で、戸惑った様子で瞼をぱちぱち瞬かせてる奥、見慣れた翠の瞳がきちんとキラを映しているのを確かめて、こんどこそほっと息をつき、やっとできてき言葉は力の抜けきったそれだった。

 何をやってる。
 何がしたい。
 雨の中突っ立って。
 ただぼんやりと空を見上げて。

 雨に濡れて何を思う。




「いや、…………雨だな、と」


 なんだそれは。
 いっきに気力も体力も吸い取られてしまった気がして、キラは四肢を投げ出した。
 フローリングでよかったと思いながら。
 もうびしょびしょだ。
 アスランも、キラも、床も。


「それだけ?」
「それだけ」

 たぶん、と付け加えられてどうしようもないなと思った。



 全部、わかりあえるわけなどないけれど。
 嫌になるぐらい複雑で、自分でさえはっきりしないのだろうけど。

 なんとなくわかったのは、やっぱり愛しいなとそれだけで充分なのだろう、きっと。






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