絶不調だ。 どこもかしこも。 身体は全体的にだるいし。 腰は痛いし。 認めたくはないが運動不足だったのかもしれない。 いや違う。 普段使わないような筋肉を無理矢理酷使されたせいだろう。 あちこちが筋肉痛。 耳元で叫ばれて――この際責任の所在はあえて追及しない――耳もダメージを負い、朝からの大音量は頭にまで響いた。 そうすることでようやっと取り戻した身体自由だが、というか主に左腕の自由の話であるが、スザクの力が弱まったスキに引きずり出し目の前にかかげてみればぶよぶよで、一瞬血の気がひいた。 触れば弾性があるのはわかったが、感触がない。 このまま血が巡らないままで腐りおちたらどうしよう。 そんなことすら考え出す朝の頭が、ああ浮腫んでいたのだと一般的な結論に落ち着いたのは、勢いよく流れ出した血がじんじんとした痺れを伝え、どうにか手が本来の硬さを取り戻してからだった。 人間自分の身体の異変には弱い。 止まるとわかっていても風呂の中で指を切れば、固まりにくい血にどうしようと焦るし、風邪をひけばこのまま死んじゃうんだとネガティブにもほどがあるほど誇大妄想に走る人間もいる。 よってルルーシュにおいてもそれは正常な反応といえただろうが、彼は自分の思考を恥じた。 横に比較対照がいたせいかもしれない。 ルルーシュを抱きしめる、ということはつまり両腕で抱え込むということであり、何が言いたいかといえばスザクの右手はルルーシュの身体の下敷きとなっていたといえばわかりやすいだろうか。 「あ、ぶにぶにしてる」 自分の腕をそう評してぶらぶらと手を振ってみせた幼馴染にルルーシュは敗北感を感じた――まことにくだらないことながら。 自分の繊細な神経に嫌気がさしたのはまだ記憶に新しい出来事だったが、こんな太いどこぞのつり橋のワイヤーみたいな神経も嫌だと思う。 しばらく自分の手を触っていたスザクが見て、とルルーシュにさしだしてきたのは指で押し、型がついた手だった。 戻らなくなっちゃったと軽やかに笑う。 それでもしばらくするうちに戻ったが、人間の身体っておもしろいよねと微笑む彼を蹴飛ばしたくなったものだ。 そんな彼は今バスルームにいる。 なんのことはないルルーシュがおいやった。 ベッドから蹴り落とすついでに。 ルルーシュも一緒にと朝から目にするにはちょっと胸焼けをおこしそうな甘ったるい笑顔で言われたのだが、裏にある魂胆が見え見えなのにあえてのってやる必要はない。 もう少し隠せるようになったら付き合ってやってもいいが。 あからさますぎると白ける。 見てと腕を差し出してきた時と同じ目であれば尚更だ。 でも気持ち悪いでしょ。 歩けないでしょ。 歯止めきかなかったから……。 ごめんね。 それに後始末。 掻き出さないと――。 文字通り蹴り落としてやった――まあなんというかその、気分的には。 辛い身体を鞭打っての強行だったというのに持ち前の反射神経でよけられてしまったのが現実だ。 仕方がないのでスザクと突然真剣な表情を装って、実は大切な話があるんだと詰め寄った。 え、どうしたの、突然怖いな。 ぐいっと顔を近づければ勢いあまったと理解したのだろう、ぶつかる前によけようとその反射神経こそがあだになった。 もちろん狙ってやったのだが。 後ろに身体を引いた拍子に胸を強く押してやれば勢いを殺せずに、なかなかに満足のいく悲鳴をあげてベッドの下に転がり落ちてくれた。 さすがに受身はとれたようで怪我どころか打ち身一つないだろうが、怪我をさせたいわけでもなかったので一応の目的は達成された。 人間たとえ一つや二つ苦手なことがあったとしても、他で補うことは出来るのだ。 頭を使えばこれくらい。 ヒドイと情けない恰好のまま若干潤んだ瞳で見上げてきたスザクをさっさとシャワーを浴びて来い。 この年になって一人で風呂も入れないとか言うんじゃないだろうな。 そう言っておいやった。 確かにスザクの言うとおり後始末もしなければならないし、それを考えれば憂鬱になってしまうが、何をするにせよ何かを得るならばそれなりの代償を覚悟すべきであり、それを許容できると思ったからこそ許したのだ。 それぐらい出来なくてどうする。 覚悟があってのことなのだから、スザクにやらせるまでもない。 偏見といえば偏見なのかもしれないが、その行為は抱かれるよりもずっと屈辱的な気がして、なんとなく嫌だったのもあるし。 一方でそのまま盛り上がってしまう結果を杞憂したのもあったが。 とにかく納得できない顔でも渋々スザクはバスルームへ消えた。 そこまではいい。 少々イレギュラーはあったが大筋は予定通り、特に問題はない。 その後のルルーシュの予定を少し書いておこう。 一つにベッドの上で惰眠をむさぼること。 身体は素直に休息を求めていたので、スザクがシャワーを浴びているそう長くない時間であってもそれに費やしたかった。 今度こそ痺れのない寝方で。 一つにスザクと入れ替わりにシャワーを浴びること。 以下は未定。 で、あったのだが。 何故、どうしてこんなことになっているのか。 ベッドに寝そべる姿がルルーシュのものではなく、何故ルルーシュはスザクを見送ったベッドに腰掛けているそのままなのだろうか。 代わりに転がる物体は何だ。 ゴミか。 認識としてはゴミでいいのだろうか。 心底嫌そうな顔でそれを見やれば、それはごろごろと我が物顔で転がり、ふふんと笑われた。 「関心関心。ちゃんとシーツは代えたようだな」 わざわざ選ばれた言葉は嫌がらせとしか思えない。 というか嫌がらせなのだろうが――もしかすると自分ではからかっているだけと思い込んでいるのかもしれないが。めいいっぱい嫌がらせだこれは。 それでも瞬時に思い浮かんだ何十もの文句をルルーシュは全て飲み込んだ。 一方的に転がり込んできたとはいえ毎日使っているベッド――毎日使っていたらそれは自分のものだと認識したくなる気持ちは一応理解の範疇にはある――をおいやられ、彼女は一夜を一体どこで過ごしたのかという疑問に摩り替えることによってルルーシュは自分を落ち着けることに成功した。 部屋の主は自分であり、自分の好きに使うのは感謝するようなことでもないような気がひしひししたが、ルルーシュが言う前にいつのまにか部屋をでていってくれていたのは一応感謝しておこう。 少なくとも面倒と精神的負担が減ったのは確かだったから。 そしてもう少し欲をだせば、しばらくかえってこないぐらいの心遣いも欲しかった。 スザクがいつ戻ってくるかわからない状態だということをわかっているのだろうか。 彼女が転がり、緑の髪が散る。 「なあ、ルルーシュ」 枕に顔をうずめ、そしてもう一度挙げられた顔は意外にも真剣なものだった。 「性欲は食欲に似ている。そう思わないか」 突然の話題は意図が全くもってつかめなかったが。 「三大欲求とは言うがな、睡眠欲と食欲はあまり似てないが、性欲と食欲は似ている。どちらも取り込んで一つになりたいんだからな。結局のところ人間の欲求は二大欲求とすべきかな」 「偏った論を展開しているように感じるが?」 「少なくともお前の大事な幼馴染とやらはそう見えるぞ?」 視線の先、何を言っているのかようやく気付いて、反射的に手をやった。 首元に。 昨夜スザクがやけにこだわったところだ。 吸い付いて、それでも足りないというように本気で噛んできたところ。 一瞬の痛み。 こぼれた悲鳴。 痛みは麻痺し。 肌を破られて血が流れた。 背中を伝う生ぬるい感触と、嘗めるように見つめるスザクの瞳。 それを腰のあたりからゆっくりと嘗めあげて。 食欲と、C.Cは称した。 ルルーシュはなんというのか知らない。 愛撫ではなかった。 少なくとも一般的な。 それくらいはわかる。 そして、何かに苦しんで、そしておびえていたことも。 傷は深い。 まだピリピリと痛む。 とはいっても昨夜の傷がまだふさがりきらないとそういうわけではない。 耳を思い切り噛むことで無理矢理起こされたスザクは悲鳴をあげて飛び起きて、そして、普段は隠してしまっているが根底にあるのが初対面で殴りかかってきたような少年だ、起き抜けで頭がまだ正常に働いていない、つまり寝ぼけていたというのもあるだろうし、昨日の変なテンションをひきずったままだったのかもしれない、お返しとばかりに昨夜の傷を思いっきり噛まれた。 そういえばやけにそこに拘るが、何かあるのだろうか。 傷にそっと触れて首を傾げる。 自分の思考に沈んでいこうとするルルーシュをC.Cのため息が引き戻した。 「あの男もとことん報われないな」 「どういう意味だ」 「わからないか? だがまあいい。責任の一旦は、たぶん私にもある」 痛そうな顔は一体何を意味するのか。 きっとそれはわざわざ今この部屋に入ってきたということが意味を持つ。 罪悪感か。 「夜、鏡を見てみろ」 その割には随分と不親切な助言だ。 「夜じゃないといけないのか?」 「合わせ鏡は夜中と相場が決まってるだろう」 これは、冗談なのか本気なのか。 「それで? でてくる悪魔はお前か?」 「まさか。確かに私は小悪魔だが? 見えるのはお前自身だ。なんてったって」 鏡だからな? 事実のくせにやけに意味深に呟いて、C.Cはさっさと部屋をでていってしまった。 もとより長居する気はなかったということなのだろう。 あえてでてきたことに意味はないとは思えない。 だが。 合せ鏡が映すのは過去、現在、未来。 果たして何時に見るものだったか。 Next |