鏡の前に立つ。 時刻は夜12時。 母親から受け継いだ黒い髪。 父親との血のつながりを肯定する二つのヴァイオレット。 焼けない肌は白く。 筋肉のつきにくい身体は最近比較対照が身近にいるせいで劣等感を刺激される。 若干疲れたような印象を受けるが、それは山のようにつまれた生徒会の書類を処理してきた気疲れだろう。 いいかげんああやって溜めていくのはやめてほしい。 少しずつ確実にやっていけば苦しまなくていいものを。 何を好き好んで自らの首を絞めるのか。 わけのわからない祭りを考える暇があるならそっちに力を入れてくれと本気でそう思う。 そんな微妙な変化はあるが基本的にはいつもと同じ自分の姿だ。 見慣れた。 母によくにた自分の姿がそこにはあった。 母に似ているのは、母の息子である証。 男女逆転祭において男子生徒に追いかけられるなど多少の難点はないこともないが、母の息子であることがルルーシュの誇りであれば概ね満足している。 少なくとも与えられたものに不満を言うつもりはない。 ただ一つだけ言わせてもらえるならば、ナナリーともう少し似ていれば嬉しかったかもしれない。 などなど思うことはその程度で、だからどうなのかという話になるとルルーシュは首を傾げてしまう。 夜鏡を見るといいとC.Cが言ったので素直に見ては見たが。 一体これがなんだと言うのだろう。 鏡の前でくるりと回ってみたらなんだか馬鹿っぽく思えてしまってちょっと沈んだ。 何をしているのだろう。 思わずため息をついて鏡になついてしまった。 恨みがましい目で後ろを見やれば、ルルーシュの――あくまでルルーシュの――ベッドの上に我が物顔で転がる居候が楽しそうにこちらを見ているのと目が合ってしまって、頭が痛くなってきた。 わざとらしい笑みがいやらしい。 「これがなんだって?」 耐え切れずに周知を誤魔化すように顔をしかめて問いただす。 「一人ファッションショーか? ルルーシュ」 「お前がやれと言ったんだろう」 強制されたわけでもなし、従わなければならない道理はないわけだが、従ったのはどうしても気になったからだ。 大切な、スザクのこと。 気にならないわけがない。 弱点をついてくるようなからかい方は悪趣味だと思う。 弱点を、さらしているほうが悪いといえば悪いのかもしれないが。 それをつきつけられるのもまた不愉快だった。 「私は合せ鏡と言ったはずだが?」 「あれは本気だったのか」 小悪魔だなんだと続いた台詞から冗談だとばかり思っていた。 「お前はもう少し素直さをもつべきだな」 人のことをなんだと思っている。 私はお前のことを思って助言してやったのに。 ああ嘆かわしいことだ。 ここぞとばかりに言ってくる彼女も疑いようもなく気疲れの原因の一つだ。 「ほら」 投げられた手鏡はきれいに放物線を描いてルルーシュの手に収まった。 ピンクのその手鏡は。 「どこからもってきた」 「細かいことを気にするな。もてないぞ。ああ必要なかったか。まあせいぜいあの男に捨てられないよう頑張ることだな」 なんて可愛げのない女だろう。 一言言えば4倍5倍にして言葉を返さないと気がすまないらしい。 しかもこちらは何の間違ったことは言っていないのに。 だが、ここはルルーシュが大人になって我慢すべきなんだろう、きっと。 そう、相手は可哀想な女なのだ。 ぶつぶつと口の中で繰り返してみれば少しだけ気がはれた――なんて低レベルな。そしてよりいっそうの馬鹿らしさにちょっとした破壊衝動が生まれた。なんのことはない。物を投げたくなっただけだ。 「……ちゃんと返しとけよ」 「さて、どこにあったかな。ま、誰も深く気にせんだろ、たかが手鏡ぐらい」 この子供のような言い訳は、まず間違いなくあった場所を忘れたわけではないはずだ。 気に入ったからもらってきたと、それは犯罪だ。 見た目以上の老齢さ――といえば聞こえは悪いが、見た目の年齢にあわない冷静さを持つ女はこちらを子供としてからかってくることが多いが、その実見た目以下の幼さを持ち合わせているのだから性質が悪い。 童心を忘れないと表現しろとの言葉は嘲ってやった。 「返しにいけよ?」 「…………そのうちな」 はっきりしない返事だ。 だが今はこんな疲れる会話を続けておくよりも重要なことがある。 手鏡の件は後回しにしよう。 「で、これでどうする?」 「まずはストリップだな」 「…………はあ?」 脈絡のない言葉に思わずすっとんきょうな声があがってしまった。 合せ鏡たらストリップたら、本当にこの女は何がしたいのか。 本当は遊ばれているだけなのではなかろうか。 脱いで鏡を覗いたところで笑われる光景がまざまざと想像できて、やっぱりやめようかと真剣に考えた。 「上だけでいい。とにかく脱げ。百聞は一見に如かずと言うだろう。説明するより見たほうが早い。ほらさっさとしろ。大丈夫だ。お前の貧相な身体を見せられたところで私はなんとも思わん」 百聞は一見に如かずとはいえ絶対的に説明が足りない場合はそれにあてはまらないのではないか。 とうの昔に枯れてるからな。 それはこっちの台詞だ。 などなど返す言葉はいろいろと思い浮かんだが、真剣なまなざしにそれら全てを飲み込んだ。 どうやらからかっているわけではないらしい。 私なりの罪悪感だと呟いた言葉は、本心だったのか。 しぶしぶとシャツに手をかける。 C.Cの前で脱ぐことになんの羞恥もわかなかったが――こちらこそなんとも思わない。たとえ立場が反対でもだ――じっと見られているというのは些かやりにくい。 ため息一つでシャツを床に落とした。 「首だ、見てみろ」 「首?」 「あの男が噛んだ場所さ」 言われるままに手鏡を後ろにまわした。 右の首の付け根。 後ろから抱き込まれて夜に。 それから朝にも一度。 思いっきり噛まれたそこは、確かに血が流れるのを感じたので傷になっているはずだ。 そう、傷に。 なっているはず、だった。 「これは……」 うっすらと痕が残る。 うっすらと、だ。 肌が破れている箇所は見つからず、その前にさんざん吸われているにもかかわらず赤くなってさえいず、血の痕跡はいっさいなく、かさぶたさえなく、ただ消えかけた色の少し濃くなった肌がぽつぽつと。 瞬時に頭を駆け巡った可能性にあらわになった上半身を見回した。 ――――――ない。 一つも。 吸われ、痛みを感じ、声をあげた記憶はあるのに、その証拠が一つもない。 そういえばあまり痕はつけないなと漠然と思った記憶が過去にあるが、よくよく思い起こしてみるとそれはあちらこちらで矛盾する。 今まで深く考えてこなかったのが悪かった――ルルーシュは完全に非を認めた。 何故すぐに気付かなかったのだろう。 気持ちの悪くなるような矛盾に。 スザクはきっと、否、確実に、気付いたのだ。 血の気がひいていくのがわかった。 「ギアスの副作用か?」 「副作用という言葉が正しいのかはわからないが」 便利だともいえないことはない。 戦場に立つ実としては。 目的を達成するのになかなか武器になるだろう。 「ギアスの力であることは」 間違いない。 マオもそうだった。 静かに告げられた言葉に、銃でいくつも身体に穴をあけたというのに、死んだと思った彼は満身創痍で、それでも平然と笑いながらルルーシュを追い詰めたことを思い出す。 ブリタニアの医学はすごいと言っていたが、まさかそれだけで助かるとも思えない。 なるほど、非現実的だが――そもそもギアス自体がそれなので深くつっこみはしない――それさえ無視すれば筋が通った話だ。 ルルーシュやマオとは基本的に違うものだとはいえ、C.Cなど頭を打ちぬかれて無事だったのだ。 何故その可能性に思い至らなかったのだろう。 人とは違った時間。 なるほど、ありえない話じゃない。 人とは違った理。 その通りだ。 罪悪感と言ったがC.Cは何も悪くない。 これを含めてギアスなのだとしたら彼女はそれを先に警告し、自分はそれを了承した。 具体的に言って欲しかったと思わないでもないが。 とはいえ、スザクに気付かれる前には教えておいて欲しかった。 否。 気付かなかった自分が悪いのだろう。 試すだけの動機も機会もあったというのに。 「抱いても抱いても遠く感じる。自分のものだという印さえつかない身体だ。私にとってはそれが普通だったんだ。あの男が最初何を不審に思っているかわからなかった。悪かったな」 「いや。お前は悪くないさ」 そう、悪いのはルルーシュだ。 スザクが、他でもないスザクが自分を抱きしめて苦悩していたのに、全く気付かなかったルルーシュが悪いのだ。 怯えて、絶望を滲ませて。 何の疑問も持たずに度を越した行為も平然と許容してしまった。 なんと言っていいのだろう。 スザク、と呼んでみる。 ごめんだなんて言葉は間抜けだ。 人とは違う時間。 俺とお前は違うイキモノ。 人とは違う理。 それでもお前のものであると信じているよ。 信じさせてやれない自分は一体何ができるだろうか。 どうしたら信じさせてやれるだろうか。 この身はすでに変わってしまった。 けれど、思いは嘘じゃない。 疑われるのは哀しかったけれども。 そんなことはどうでもいいことなのだ。 彼を苦しめているのが他でもない自分だということが、痛かった。 噛み付いて。 噛み破って。 そんなものとは比べ物にならないほど痛かった。 ごめん、とどうして言えるだろう。 けれど。 ごめんと繰り返すことしかできなくて。 どうすれば、絶望を拭えるだろうか。 それが杞憂じゃないかもしれないのに。 いつものように嘘をついて? 【一言】 Step1終了です。 |