Scarborough Fair (夏祭り編)



 正直、門田は自分のことをいわゆるイイヒトだと思ったことは一度もない。
 先日臨也が「ドタチンってほんといい男だよね」なんて戯れに言われたが、それが社交辞令を通り越してからかいの域に達したものだったにしろ、とにかくそんなことを言われても不本意に思うだけでちらともうれしくはなかった。
 そもそも内面を最もよく知る自身に対してそんな評価ができる人間というのも胡散臭い物であると思うし、少なくとも手当たり次第人助けをしていくようなお人よしと言われる人間でないことだけは確かなのだから。ある程度面倒事からは目をそむける。他人に深く踏み込まないようにするのも、相手を思いやってというよりは巻き込まれたくないという自己防衛であることを否定できない。それに、何より今、手出しを躊躇っている時点でそんなものを名乗る資格はないのだ。







 夏休みとはいえ、否、週末のせいぜい二日程度の休みであればまだしも長期休暇だからこそ生活習慣を乱すわけにはいかないと、朝も通常始動で起床し――とはいえやっぱり気の緩みか30分ほど学校のある日よりも遅かった――掃除をして昼食の時間まで読みたい本でも読むかと蝉と扇風機の音だけがやけに大きく聞こえる夏らしいといえば夏らしい部屋でくつろいでいた時、携帯が鳴った。
 サブ画面に表示された名前を見て珍しいなと思い、通話ボタンを押せば、夏バテに縁のなさそうなテンションの高い声が耳を打った。

 曰く、今日もいい絶好調に暑いから思い人の体調が心配だ、けども彼女が体調を崩したら一日中つきっきりで看病してあげるんだ、ああけど彼女が苦しむのは僕の本意ではないんだよ、でもでも弱ってる彼女もすっごく可愛いんだろうななんて不埒なことを考え以下略。
 ほとんど聞き流してしまったのであまり覚えていないが別段構わないだろう。
 というか、覚えていたところで何の足しにもならない話だったように思う。せいぜい一人身の自分の寂しさが身に沁みるるだけで。

 けれどおそらく彼も夏休みに入ってその溢れんばかりの思いをぶちまける相手がいないために、色々とたまっているんだろうと適当な相槌を30分は続けただろうか。
 結局何の用なんだと聞けば、なんと夏祭りの誘いだった。


 丁度退屈していたし、何より誘ってもらうというのは単純にうれしいことでもある。
 実際少しばかり浮ついていたのだろう。
 彼女と行かなくていいのか、なんてあとから自分で考えるに考えなしなことをポロリと言ってしまったのは、近年稀にみる失態だった。

 後悔しても遅い。
 おかげで午後3時まで昼食が取れなくなってしまった挙句、一人浴衣の指令まで受けてしまった。


 しかしいくら言われたからといって律儀に着る必要もなかったのではないか、と待ち合わせ場所で一人佇んで思う。
 誰も注目していないとわかってはいても、恥ずかしい。
 自分一人だけが着ているわけではないといっても、男の浴衣は絶対数が少ない上に、やはり着ているのはカップルが目立つ。
 しかも、だ。今はまだ彼女待ちに見えるかもしれないが、実際に集まるのはわびしい男達なのだ。
 たとえば家になかったとか、あったと思ったけど見つからなかったとか、着替えてる暇がなかったとか、言い訳は色々できたはずなのに、何故着てきてしまったのだろう。
 これで新羅が着てこなかったらどうしてくれようと割と本気で思う。



 そんなことを考えながら待つことすでに20分。
 少し早めについてしまったのを差し引いても、すっぽかされたと判断してもいいんじゃないかと思う程度時間が過ぎた。
 何かトラブルに巻き込まれたんだろうかとメールをし、しかし返事がないものだから電話もしてみたがつながらなかった。
 もう帰るべきか、それともせっかく来たのだから一人でふらふらと見て回ろうかと考え始めていた門田の目の前でそれは始まった。目の前、というか、正確には門田の立つ位置から丁度見える裏路地で。


 連れ込まれた一人の女と、それを囲む男が3人。
 黒い髪を器用にまとめて、青い生地に白い蝶の舞う浴衣を着た女が困ったように男を見上げているのが見える。
 男の顔は見えない。
 しかしその光景は、門田の足を20分居すわったそこに縫い付けるには十分だった。

 祭の夜だ。
 気分が浮つくのはわかる――ああいった輩は祭に関係なく浮ついていることも多いが。
 タイプの女性に声をかけるのもいいだろう。
 しかし、傍から丸見えとはいえ、路地に引っ張り込むのはいただけない。
 いや、だがしかし、と思った時点で冒頭の考察に行きついたわけだ。


 絡まれてる女がいたからといってむやみやたらに正義感の塊のような顔をして割っていっていく趣味は持ち合わせていない。
 あまり治安のよろしくない街だ。そんなことしていたら日が暮れる。否、朝日が昇っても終わるまい。

 とはいっても流石に目の前で起きているのを見なかったことにしてしまうというのも気分が悪い。
 寝覚めが悪い、と言うべきかもしれない。
 とめられたかもしれない犯罪が起きるかもしれない。見知らぬ人間とはいえ、負わなくてもよかった傷を負う人間がでるかもしれない。
 そんなことを思いながら寝れば今日の夢は確実に悪夢だ。
 だから、これは自分のためなのだと思う。


 このまま何事もなく男たちが諦めるのならばよし。
 もし彼女に危害を加えるようであれば、その時は―――――。



 通りの人波の向こうから視線だけは外さずに、そう考えたその時、助けを求めるかのように彷徨わせた彼女の視線が、溢れる頭の合間を縫って、ぴたりと門田に止まった。
 こんなに人がいるというのに、はっきりと目があった。
 そうしてバサバサ音がしそうな瞼が二度、瞬く。
 きょとんとした顔でこちらを見つめる彼女の顔には何故だか怯えが一切ない。
 それを門田が何故だと思う前に、彼女は嬉しそうに破顔した。
 そうして場違いにも軽く手を振ると、薄い唇で、信じられない言葉を吐いたのだ。



「京平!」


 弾んだ声で。



 男達がいぶかしげな顔で彼女の視線をたどる。
 おいまて、と門田が制止の声を上げる前に彼女は壁に突かれていた男の腕をひょいとくぐりぬけ、小走りに、いっそ余裕すら感じられるような足取りで人にぶつかることもなくこちらに走り寄ってきた。
 そうしてきゅっと人の腕を勝手に抱きこんだ。


「京平、どこ行ってたの? 探したんだよ〜」


 女が勝手に連れの設定にしようとしているのは別にかまわない。
 だが、見上げてくる少し吊り気味の目、形よく整った鼻、グロスの塗られた唇、それからどこか甘えているようにも聞こえる涼やかな声、どれにもまったく覚えがなかったのが問題だ。


 素直に綺麗な女だとは思う。
 十人中九人が認めるのが美人の定義だと聞いたことがあるが、それにあてはめるにしても美人といって差し支えのない、よく見る派手な化粧で画一化された美とは違う、嫌みのない美がそこにあった。
 男なら確実に目を奪われる。女なら…………どうだろう。

 とにかく、年はおそらくそう変わらないように見えるが、学校をはじめとするあらゆる知人を検索にかけたところで、彼女の名前は出てこなかった。


 それでも一瞬で戸惑いを消して、獲物を横からかっさらったと睨みつけてくる男に向き直った自分を誰か褒めていいのではないだろうか。



「悪いな。俺の連れだ」


 険呑な空気を醸し出す男達と余計ないさかいを起こすのは面倒で、まあ確かに、多大なる疑問が残るにせよ、今はこれが一番穏便な手ではあろうと、彼女の肩に手を回した。
 そして呆気にとられたような馬鹿面にさっさと背を向けて、人ごみの中に足を踏み出す。
 祭ということもあって人出が多いのが幸いだった。
 一度まぎれてしまえばそうそう再会することもないだろう。


 肩の手は早々に降ろしたが。しばらく腕をくんだまま歩いた。
 その間無言であった。
 無言で門田は、女の正体について考えていた。

 彼女を知らない。それは確かだ。
 しかし、なんとなく、どこかで見かけたような気もする。
 とはいえ、これだけ目を引く美人、一度見たら忘れないと思うのだが。
 少なくともクラスメイトではないが、同じ学校である可能性は否定できない。男子ならともかく、学年の女子を全て知っているわけでもない。学校全体ともなればなおのこと。
 一方的に名前だけ知られていてもおかしいことではないだろう。そう目立つキャラクター性をしていないはずだが、何せ周りには目立つためだけに存在しているのではないかと疑いたくすらなってくる二人がいる。友人として一緒に名前が出回ってしまっているとすれば、大変不本意ながら、納得できないことではない。


 ちらりと視線をやれば、彼女も気づきふわりと笑った。
 まるで本物のカップルのようだったが、足をとめたのはそんな理由ではない。




 目眩がするような、既視感。




「おい」
「何?」


 その声を、吸い込まれそうなその瞳を、知っている、と頭のどこかが告げる。


「どこまで行くんだ?」


 こてんと首を傾けた仕種は、わざとらしくて気持ちが悪かった。
 この気持ち悪さも、知っている。


 どこだ。
 どこで見た。
 どこで聞いた。
 どこで知った。


 具体的な単語は何一つ思い浮かばない。

 なのに、口が勝手に動いた。


「臨也?」


 冷静に考えれば、最低でももしかしてという接頭語をつけるべきだった。失礼にもほどがある。
 けれど自分の言った内容すら、出した声が耳に届いてからやっと脳に行き処理されたものであれば如何とも手は尽くしがたい。
 だから彼女が――そう、彼女だ。臨也は男だというのに、なんと馬鹿なことを言ったのか――え、と戸惑った声を溢したのを聞いて、さっと青くなった。

 ただし、見開かれた瞳の色は、紅かった。


 驚きが見えたのはほんのわずかな時間で、女はすぐに笑いだした。
 はじめはくすくすくすと耐えきれないとでも言いたげに。
 それから門田の顔を見て、ぷっと吹き出すと、とうとう声をあげて狂ったように笑った。
 最終的に目じりに涙を浮かべて、肩で息をしだしたので、さすがに頭がおかしいんじゃないかと心配になったが、ふいにぴたりと笑い声をとめると、はあと溜息をついた。



「さっすがドタチン。ああもうどうしよう。どうしようか。ドタチンすごい愛してる。そうだ、結婚しよう」


 何故、往来でプロポーズされているんだろう。
 しかも京都行こうみたいに軽く。
 しかし、ドタチンと呼ぶ人間はせいぜい臨也と新羅ぐらいしかいない。
 確かに浴衣を着ているが、これが新羅だと思うのは流石に無理がある。臨也と思うのも無理がないとは言わないが、臨也の酔狂は折り紙つきだ。納得できないこともないと思えてしまった時点で色々と終わっている。







next