こ、ん、に、ち、は。 と、ゆっくりと口を動かしてみれば、彼も同じように口を動かして、にっこりと笑ってくれた。 友好的なその笑顔にうれしくなって笑えば、彼ももっと楽しそうに笑った。 これは是非ともお友達にならなくちゃ、と思ったけれどもそういえば友達の作り方なんて知らなかった。 困ったなと首を傾げれば、彼も困ったような顔になった。 友達ってどうやってなればいいの、と後ろを振り返って主人に聞こうとしたが、主人は何やら真剣な様子でパソコンを睨みつけていてこちらを見てくれない。 試しにねえねえと名前を呼んでみれば、今忙しいから後にしてとそっけない返事が返ってきた。 しかし忙しいと言うなら仕方ない。 邪魔して怒られるのは嫌だ。 しょうがないから主人の手があくまで自分で考えてみることにした。 主人によく馬鹿だと言われる頭で考えたところでいい案が浮かぶとは思えなかったが、それでも何事もやってみることが大事だ。 そもそも友達ってなんだろう。 友達とは……そう、仲がいいことだ。 たぶんあってる。 仲が良くて、いっぱいお話して、一緒に笑って、それで、それから。 楽しいことをして。 幸せなことをする。 ふむ。 では楽しくて幸せなこととは何だろう。 何があるだろう。 馬鹿だの何だのの前にあまり物を知らないのは自分でもよくわかってる。 楽しいこと。 幸せになれること。 好きなこと。 たとえば、主人の名前を呼んで、何と優しく笑ってくれる時、幸せな気持ちになれる。 たとえば、主人にぎゅっと抱きついて、頭をなでてもらう時、すごくすごく、うれしくなる。 隣に座ってテレビを見るのも楽しい。 あとは、手をつなぐのもいい。 名前を呼ばれるだけでもいい。 そこまで考えて気がついた。 彼の名前を知らない。 あわてて名前は、と聞いた。 しかし彼は答えない。 しばらく待ってみたけれどもこちらをじっと見つめるだけで彼は答えてくれない。 どうしたんだろう、もしかして嫌われたのかなと思って落ち込む。 すると彼はすごく悲しそうな顔をした。 ああどうしよう、彼を困らせるつもりはなかったのに。 そういえば、彼は最初から何も話していない。 もしかすると声が出ないのかもしれない。 だとすると申し訳ないことをしてしまった。 でも大丈夫。 声が出なくても幸せな気持ちにはなれる。 そっと手を伸ばした。 手をつなぐところから始めよう。 指先に触れてみる。 驚いた。 冷たい。 こんなに冷たいんじゃ指もうまく動かないだろう。 どうにかして温めてあげたいと思って、掌を合わせた。 やはり冷たい。 まるで血が通っていないみたいだ。 ずっと血が流れていないと細胞は腐ってしまうのだと主人がこの前言っていた。 一度腐ってしまった細胞は二度と生きかえらなくて、切り落としてしまわないといけないのだと。 せめて痛くないように切ってあげるよと、どこかうっとりした顔で主人の手を握った男を蹴り飛ばしたのは昨日だったか、一昨日だったか。 こういった人間を変態って言うんだよと気持ち悪そうな顔をした主人に教えてもらって、あんまり賢くない頭だけど『変態』だけは忘れないなと思った。 だからとにかく腐るのはまずい。 変態に切られてしまう。 せっかくのお友達――まだ予定だけどきっとすぐにお友達になれるはず――の手を切り落とされてしまうのは嫌だ。 あったかくなれーあったかくなれーと心の中で必死に祈る。 すると祈りが通じたのか少しずつ温度が上がってきた気がする。 反対に自分の手は少しずつ冷たくなってしまってきていたけど、腐るほどではないから大丈夫。 それに冷たくなってしまっても、主人はサイケは馬鹿だねと苦笑いしながらあったかくなる方法を教えてくれるはず。 「サイケ?」 むーんむーんと念力を送り続けていると、仕事が終わったのか主人が後ろから声をかけてきた。 「あ、臨也君、忙しいの終わった?」 「や、まだ終わってはないけど、一時休憩」 なんだ休憩か。 じゃあ一緒にごろごろはまだしてくれないんだと少し残念に思ったけれども、今はそれどころじゃなかったことを思い出した。 「そっか。でもサイケも今忙しいからイザヤ君と遊んであげるのはあとでね!」 大丈夫fだよ。 サイケはイザヤ君が一番大事だからね、と言うと主人は何とも言えない顔つきになった。 「ああ、うん。別にそれはいいんだけど、さっきから何やってるの?」 「あのね、この子の手がすっごく冷たいからあっためてあげてるの。腐って変態に切り落とされちゃわないように。手があったまったらお友達になろうと思うんだけど、そうだ、さっき聞こうと思ったんだけどね、お友達ってどうやってなればいいの?」 主人は口に運びかけた紅茶のカップを一端止めると、サイケを見下ろして、それから結局一口も飲まずに紅茶を机に置いてしゃがみこんだ。 「友達の作り方、ね」 主人は小さな声で困ったな、と言った。 そのあとも何か言っていたようだけれども、あまりに小さな声すぎて聞き取れなかった。 サイケは首をかしげた。 主人は溜息をついた。 「あのねえサイケ、友達をつくろうとするのは別にいいよ。止めない。でもね、出来れば友達は三次元でつくってほしいんだけど」 主人の言うことはいつだって難しい。 「それともアリスにでもなる気か?」 「アリスって何? アイスの友達? おいしいの?」 「うん。なんだろうね。なんで俺の顔でそんな残念知能なんだろうね。アリスは人の名前だよ」 「人? イザヤ君の彼氏?」 「……女の子の、名前だから」 何故か怒られた。 お仕事がうまくいってないんだろうか。 だから苛々してるんだろうか。 「夢の世界にいったり鏡の中にいったりする不思議少女だ。ああ、サイケなら本当にウサギおいかけて穴に落ちかけないな」 「イザヤ君、意味わからないよ」 「鏡の中の自分と友達になろうとするお前よりはマシだよ」 首をかしげると、同時に彼も首をかしげた。 瞬きすると、彼も一緒に瞬きをした。 |