「ああぁ! ふ……ッ……ん……はぁ、もっと……おく!」



 暗い部屋で女の肢体が踊る。
 艶めかしい腰が男の身体の上で捩られ、それにあわせ豊満な胸が揺れる。
 俗に言う騎上位で、男にまたがった女が主導権を握り己の欲望を追う。
 汗で頬に髪が張り付くが、もはやそんなことは気にならないのだろう。
 部屋の暗さのせいだろうか、やけに深い森のような薄暗い緑の瞳が恍惚に染まっている。




「あ……ん…………アァッ」













Den Lille Havfrue















 女の身体が仰け反り悲鳴のような嬌声が部屋に響いた。
 その口元が何かを嘲笑うかのような歪んだ笑みを刷くのを認め、すっとC.C.が目を細めた瞬間、女の身体に亀裂が入り、そして耳触りな音とともに砕けた。
 パリーンというガラスの割れる音と、ガッシャーンという陶器の砕ける音があわさったとても不快な騒々しい音。


 鏡の破片と数秒前までカップであったその残骸が入り混じってできた立ち入り禁止区域を見やって、それからちらりと横を見る。
 



「おい。何してくれるんだ。今いいところだったのに」



 返事はない。
 テーブルに両手をつき、うつむいたその表情は黒い髪に覆われて見えない。



「ルルーシュ」


 仕方なく少し声を柔らかくしてその名を呼んでやる。



「お前が見始めたんだろう?」

 誰も頼んでいないのに。

「しかもこれで何回目だ」

 何回も同じものを見て、よくぞその度に同じ反応が出来るものだといっそ感心してしまう。
 おかげでいつもいいところでとめられるこっちの身にもなって欲しい。
 不完全燃焼だ。


「うるさい」

 失敬な。
 あの女のあえぎ声よりはよっぽど静かなはずだが、とうとう耳も壊れたか。



「嫌なら見なきゃいいだろうが」


 違うかと問えば、やっとこっちを向いた紫暗の瞳にきっと睨まれた。
 かすかに潤んでいることを指摘してやろうかとしばし思案して、やめた。
 この綺麗なものをもう少し見ているのも悪くない。
 それにこすったら皺になる。



「お前には関係ないだろ。黙っていろ」
「関係ない、だと? よくも私にそんな口きけたもんだな。誰が育ててやったと思ってるんだ」
「少なくともお前じゃないことは確かだ」
「酷い言い様だ。お前が人の道を踏み外しているようだと聞いたから心配して見に来てやってるっていうのに」
「おもしろがって冷やかしにきてるの間違いだろ」


 昔はあんなに可愛かったのにこんなにひねくれて育ってしまうなんて。
 ああやっぱり育て方を間違ったか。
 おもむろに溜息を吐く。


 かつかつとテーブルを2回叩いて、砕かれた鏡とカップをもとに戻してやった。
 だが残念ながらもう鏡に例の部屋は映らない。
 ただ鏡としての本分を全うすべく、紅茶を入れなおすルルーシュの姿をそのとおりに映すだけだ。


「ま、もっとも私もお前も人ではないがな」


 くすくす笑って言った言葉にルルーシュの秀麗な顔が若干歪んだ。


「だが悪趣味なのは確かだな。この覗き魔め」



 鏡に映っていたあの女がいる部屋はこの城の一室の様子をリアルタイムで映しだしたものだ。
 これを覗きと言わずなんと言う。

 とはいえこの城はルルーシュの城であるからして、自分の城のどこをいつどうやって見ようがとがめられる者などいはしないが、しかしだからといって人様の情事を覗き見るのがお上品なこととは言えまい。



 女の名は枢木スザク。
 この城で、否、現在この魔界で唯一の、人間だ。

 何故人間がこんなところにいるのかという問いははっきりいって馬鹿のするものだ。
 人がおのずから魔界に足を踏み入れることなど不可能。
 更に言えば魔界の住人であっても魔王の城にはいることができるものがどれだけいようか。
 よって答えは一つ。
 魔王自ら連れてきたに決まっている。

 そう、『あれ』はルルーシュが連れてきた人間だ。



 だが。


「そういえばあれはいつから女になったんだ? この間までは男だった気がしたんだが」


 気のせいだったかとわざとらしく尋ねる。
 ルルーシュはきゅっと唇を引き結んだ。
 それを全ての答えとみなし、C.C.はやれやれと肩をすくめてみせた。



「女にすればあてつけがましく誰彼かまわず抱くのをやめると思ったか? まあ、お前にしては考えた方だな。もっとも効果はなかったようだが」


 それは先ほど鏡に映された映像から明らかだ。

 無理やり連れてきたのだとルルーシュが白状してからなんとなくこじれそうな雰囲気は漂わせてはいたが。
 無理やり連れてこられた人間は、はじめのうちはただ帰せと喚くだけだったがどれだけ叫ぼうが泣こうが、ルルーシュがその願いを聞き届けるはずがないとようやく理解すると――魔族が人の願いなど聞くはずもないことなどわかりきっているだろうに、愚かにもあの人間はその努力をしばらく続けた。その意志を無視して力ずくで拉致した犯人が意外にも軟弱な姿形で、しかも己に対して強くでてこないことが希望を抱かせたのかもしれない。相変わらず罪つくりな奴だ――ルルーシュが奴にほれ込んでいるのを逆手にとって、嫌がらせ、当てつけのために周りの女に見境なく手をだすようになった。
 その女だって魔族なのだから、それはルルーシュでなければ誰だっていいという最大限の拒絶をあらわしたものなのだろう。


 もちろんそれは筆舌につくしがたいほどに効果的だったとも。
 あの人間のどこがそんなにいいのかC.C.にしてみれば理解に苦しむが、人間界の格言に恋は盲目なる言葉があるらしい。
 ルルーシュは、そうあいつに、なんといったか…………ああそう、ぞっこん、というやつだ。
 この拉致および軟禁もルルーシュの恋心のなせる技となればC.C.なんかは可愛い奴めと思ってしまうのだが、被害者はさすがにそうもいかないのだろう。
 あるいはあれが人間ではなく魔族だったら話はもっと簡単だった。
 魔族は本能で強い者に魅かれる。
 魔王であるルルーシュに請われてそれを拒否するものなどいようはずもない。
 同じ魔王の面々であればまあ、いないこともないかもしれないが、現在の魔王と呼ばれる者達の顔を思い浮かべるに、それでもそこそこうまくいったんじゃないかと思われる。


 なのにルルーシュが伴侶に選んだのは人間だった。
 人間を連れて戻ってきた城主にもちろん城中騒然となり、その波紋は他の魔王にも広がったが、そこは魔王のすること、文句の言えるものなどいない。



 それでも、とC.C.は思う。
 それでもルルーシュがあの人間をとがめるなり、抱かれた者を罰するなりしていればここまで酷い事態にはならなかっただろうに。
 無理やり連れてきた負い目なのかなんなのか、ルルーシュはひたすらあれのすることを見るだけで手出しも口出しもしなかった。
 女の立場から言わせてもらえば抱かれた者ぐらいはさくさく罰してやればいいものを。
 それでなくてもそいつらは主を裏切っているのだ。殺してしかるべきだろうに。
 まあもっとも、伴侶であるあの人間にはルルーシュの匂いがしみついているのだから、求められてあらがえない気持ちもわからないでもないが。



 というのは前回来た時の状況だ。
 どうやら今日までに一波乱あったようで、人間が男から女に変わってはいたが。
 けれど現状にそれほど差が見えないような気がするのが頭の痛いとしか言い様がない。





「で、どうするんだ? まさかこのままにしておくわけにもいくまい。あんな淫魔が城にいるからほら、もう秩序が乱れに乱れまくってる。権威も何もあったもんじゃないな。このままだとお前、近いうちに破滅がやってくるぞ」


 魔族は力が全てだ。
 今の腑抜け魔王に不満も持つ者も多い。
 そいつらに刺されて死ぬ。
 あるいは他の魔王につけいられる。
 我慢しきれなくなって嫉妬にくるって全てを自分で壊すなんていう想像はぞっとしない。



「それならそれで」
「いいのか? 本当に? 惚れてるんだろ? なのに連れてくるだけ連れてきて、それで終いなのか。ちょっとは努力なりなんなりしたらどうなんだ。だいたいそれならそれでと言うくらいならもう見るな、馬鹿らしい。そもそも連れてくるな。お前はなんなんだ。あいつを不幸にするために連れてきたのか。それとも不幸な自分って可哀想って悦に浸るために連れてきたのかこのどエム」
「ど、努力ならしている!」
「はあん? 例えば何だ? 見て見ぬふりは努力でもなんでもない、ただの逃げだろうが」
「うるさい!」


 机を叩いた拍子に紅茶が飛んだ。
 テーブルクロスに染みが出来る。
 最初は小さな染みは、じわじわと広がっていく。


 そう、今回のことだって同じだ。
 最初のルルーシュの癇癪が小さな染みを一つ作って、そして誰も洗わないから今は大きく広がって、もうしみついてとれない。



「ルルーシュ。こんな話を知ってるか? 昔一人の姫がいた。人魚の姫だ。人間に恋した人魚姫の話」
「…………いきなりなんだ」
「とても美しい声で歌を歌う人魚姫の話。ずっと海の底で歌っていればそれはそれで幸せに暮らせただろうに、人魚姫の不幸は海の上になんか行ったとこから始まるのさ。海の上で、船を覗いた人魚姫は、あ? この女も覗き魔か。お前と同じだな」
「おい」
「そこにいた人間の王子に恋をした。俗に言う一目ぼれというやつだな。思うに王子の乗ってる船だ。他にも人間は大勢いただろう。なのに王子に一目ぼれとはまた、安っぽい話だ。ああもしかして王子は美形だったのか?」
「C.C.、そこは重要なところなのか?」
「いや別に。素朴な疑問だ」


 どうせ暇なんだからそうせかすなと言って、紅茶のお変わりを要求した。
 話すと喉が渇く。



「まあいい話を戻そう。その王子の乗った船は嵐で難破するんだ。王子は海に投げ出され、人魚姫はもちろん王子を助けた。惚れた男だけをな。他は放置だ」
「それは穿った見方じゃないか?」

「ま、誰だって意味なく人助けなんかしないって話だろ。人魚姫は非力な女だったから一人助けるのがやっとだったんだろうしな。でまああ助けたはいいがなんたって人魚だ、海岸までが精一杯。しかも人間に見られちゃいけないっていう決まりもあった。人魚姫は人工呼吸を……したかは知らんが、助けた王子が目覚めるまでそばにはいられなかった。人が来たのさ。もちろん人魚姫はとっさに身を隠すだろ? ああそうここがこのご都合主義のすごいとこなんだが、やってきた人間というのがなんと隣国の姫君だ。こんな偶然があっていいものかな。普通来るなら漁師とかじゃないか?」
「童話だ、いちいち突っ込むな。話が全然進まん」


「でまあその隣国の姫君が人工呼吸を……したかな?」
「人工呼吸になんでそこまでこだわるんだ。どうだっていいだろ」
「何故だ。大事なところだろ。マウストゥーマウス。王子のファーストキスだぞ」
「それこそわからないだろ。話の流れからして婚約者だのは出てきそうにない雰囲気だが、王子だろ? 人間界ではその、練習のようなことをするとか聞いたことあるぞ」
「なんだ。お前が気にするかと思ってひっぱってやったのに。というかそんなこと知ってたんだな」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ」


 もちろん可愛い奴だと思っている。



「ルルーシュは意外とむっつりと私の辞書に書いといてやる」
「何故だ!?」
「ちなみに筆おろしって知ってるか?」
「は?」


 ああもう本当に可愛い。



「それで隣国の姫君はこう言った」
「ああもうなんなんだお前は」
「いやそうは言っていない。こうだ。『まあこんなところに人が。大変』」
 

 高い声でわざわざしなまでつくって熱演してやったのに、ルルーシュが気味悪そうに見たので、足を踏んでおいた。


「で犬よろしく連れ帰った」
「それはなってないな。倒れている人を見かけたらまずバイタルサインの確認だ。呼吸はあるか意識はあるか、脈はあるか」


 バイタルサインを気にする魔族など聞いたことがない。
 ルルーシュならするのだろう。
 正直脈をとるより意識を引きずりだす方が簡単なんだが。
 というか突っ込むところはそこなのか。




「一方の人魚姫は海に帰ったが、王子のことが忘れられない。寝ても覚めても王子王子王子王子。正直ウザイ。しかもあんな場面で別れてるからな。いてもたってもいられなくなって人魚姫は魔女のところへ行く」
「それはまた、もっとも悪い選択だな。古今東西魔女と名のつく奴にまともなのはいない」
「それは誰のことだ?」
「だから一般的な話だ」


「ふん。とにかくだ、人魚姫は魔女に頼み込む。あたしーどーしてもー人間になりたいんですーってな」
「ちょっとまて。なんでいきなり人魚姫が馬鹿っぽくなってるんだ」
「馬鹿だからだ。恋に目が眩んでる。正気じゃない。正気だったらこんなことするものか。私たちが人間になるようなものだぞ? アホらしい。ま、魔女も暇だったんだろうな。人魚姫の美しい声と引き換えに尻尾を人間の足にかえる薬をやるのさ。もっともその足は、歩くたびに激痛が走る出来そこないの足だがな」
「激痛?」
「ナイフで抉られるような痛みだと」
「不良品だな」


 可哀想にと言うルルーシュは本気で人魚姫に同情しているのだろう。
 まさか自分に置き換えてはいまいだろうが。
 これで人間になりたいなどと言いだされては目もあてられないことになる。
 魔族が人間になるのは不可能だ。人間を魔族の卷族とすることはできても逆は出来ない。
 仮にも魔王がそれを知らないはずはない。



「それでも人間の足を手に入れた人魚姫は、ここでご都合主義パート2だ。運よく例の王子に拾われて王子の城で暮らせるようになる」
「さっきから人を拾いすぎだ。人権も何もないな」
「ほう。お前が言うのか」
「…………」


 おやしまった黙ってしまった。


「しかし人魚姫は魔女との取引でしゃべれないからな。おおそうだ大事なことを忘れるところだった。どうしようかな。これは諸説あるんだが……。薬には注意事項があってだな。曰く、もし王子が他の娘と結婚するような事になれば、海の泡となって消えてしまうだの、3日以内に王子の心を射止められなければ海の泡となって消えてしまうだの。とにかく海の泡になって消えるのは共通なんだが」
「ちょっと待て。そこが一番重要なところじゃないか。取引のくせに随分といい加減だな。後者なら制限時間が3日で多少強引な手段を使わざるをえないだろうが、前者なら期限はないから結婚だけを邪魔すればいいってことだろう?」



 そのルルーシュの考える多少強引な手段とやらがなかなかに気になったが、それを突っ込みだすと本格的に進まなくなりそうなので飲み込んだ。




「童話なんだ。深く突っ込むなって言ってるだろう。めんどくさい奴だな。そんなだからあれとこじれるんだ。とにかく恋が実らなきゃ消えるってことだけわかってればいいんだ」

「……過激な話だな」
「まったくだ。しかも王子は助けてくれたのは隣国の姫君だと勘違いしてる。だって目が覚めた時いたのは姫の方だし、貴女がたすけてくれたんですねと言えば、連れてかえって介抱したのは姫、いやまあたぶん姫のとこの侍女だか医者だかだろうが。とにかく姫は頷くだろ当然だ。別に騙す気はない。だからあながち勘違いともいえないか。これもこれで事実だ。さっきも言った通り人魚姫はしゃべれないからな。否定もできない。あれよあれよといううちに王子と姫の結婚が決まり、同時に人魚姫の消滅も決定したわけだ。哀れだな。だが焦ったのは5人の姉の方だった。そう言い忘れてたが人魚姫は6人姉妹の末っ子で、姉が5人いた。大事な大事な妹が人間の男なんかのせいで消滅するなんて許せない。そんなわけで姉たちも魔女のところにいった」


「なんか……他にいないのか。魔女の他に」
「いない。魔女は5人の髪と引き換えに、とはいっても坊主にしたわけじゃないぞ? 肩ぐらいになったと思うんだが、髪はどうせ伸びるしな。いやだが髪は女の命だ。その命と交換で短剣を渡したんだ。どう使うかわかるか?」
「………………………………いや」


 随分と間があいた。
 賢いルルーシュはもうほぼわかっただろう。
 だが真実とはいつだって身を切るほど冷たいものだ。今回は童話だが。



「姉たちは人魚姫に短剣を渡して言った。王子を殺せ」


 かすかに息をのむ音がした。


「そうすればお前は人魚に戻れるから、とな」
「人魚姫は」
「人魚姫は王子を殺せなかった。だから、海に身を投げて、泡になった。めでたしめでたし」
「どこがめでたしだ」
「しらん。とにかく物語の最後にはそう言うと決まってる」


 少なくとも王子は死ななかったし、人魚姫は人殺しにもならなかった。
 だろう?と言ってルルーシュの頬をなでる。
 相変わらず世界中の女が嫉妬しそうなほどきめ細やかな手触りのいい肌だ。











「それでなんなんだ。結局お前は俺に何が言いたいんだ」
「別に? いや、そうだな。お前が泡になってしまったら私は哀しいよという話、かな」




 苦虫をかみつぶしたようなその顔に、額に戯れにキスを落とした。






 ひたすら純粋に王子を愛した人魚姫。
 けれど言葉にできなければ何も伝わらなかった。
 真実も、愛も、何も。







【一言】(反転)
このあとスザクの記憶消して人間界に戻して、侍女として潜り込んで、スザクはユフィを好きになって云々という話に続く予定だった