「ルルーシュ、それ…………」 目を細めて、しかし言いかけた言葉をふいにとぎらせたスザクに、ルルーシュは首をかしげた。 「何?」 しばらくして続けられた声は恐ろしく低い。 「何って、何が?」 「うん。だからそれ」 それではわからない。 尚も首をかしげてみせるルルーシュをスザクが前動作なくぐいと引き寄せた。 いきなりのことだったので、もともとそう運動神経がいいわけでもないルルーシュはなされるままにバランスを崩す。 とはいえそのままこけるなんてことはない。 スザクが支えるからだ。 厚い胸板に抱きこまれるように倒れ、いきなり何をするんだという抗議は言葉になる前に消えた。 スザクは真剣な姿でルルーシュのうしろを覗きこむ。 「何、してるんだ」 「うん」 うんとは何をさすのか。 言葉はきちんとしゃべってくれと心底思う。 同時に、場所をわきまえろと切に願う。 ここは生徒会室だ。 今は二人しかいないとはいえ、まだ早い時間、これから誰が来るかわかったものではない。 もしもこの異常に密着した状態で誰かに踏み込まれでもすれば、いらぬ誤解をうむことになるのは目に見えている――それが真実であるかは置いとくとして。 離れろ、といおうとしてそれも潰された。 文字通り潰された。 くいっと頭を肩口に押し付けられて、距離はさほどなかったとはいえ人の身体は結構硬い、鼻をぶつけた。 口も計らずふさがれることとなり、声はくぐもったものとなる。 何言ってるのかわからないなとはルルーシュの思いで、スザクからの反応がないのが異様に不気味だ。 押し付けられたが、そこには色気なんてものは存在しなかった。 ただ後ろを覗き込むのに見にくかったからだと思われる。 それにしても後ろが見たいのなら違う体勢を選ぶべきだと思うのだが。 ルルーシュを半回転させればそれで解決ではないか。 そんな、逃がさないとでもいいたげなものを選ばなくとも…………。 逃がさない? なんだろう。 ひっかかった。 ルルーシュと違いスザクは頭で考えて行動するよりも本能が指し示すまま、直感で行動するタイプだ――もちろん頭でまったく考えないというわけではなく、あくまで比較的であり、結果が伴う場合どちらの要素が締める割合が大きいかという問題である。 スザクの手がルルーシュの後ろ髪を持ち上げる。 必然的に手は首を滑ることとなり、ぞわりとした感覚がルルーシュを駆け巡った。 まったく不本意なことに。 スザクにはきっと他意はない。 少なくとも、今は。 今は見えないが、最後にあった目はひどく真剣な、それでいてどこか冷たい目をしていた。 色は見えなかった。 ただ、薄暗い感情を見た気が、した。 予想しえなかったそれに、ルルーシュは動きを封じられたのだ。 何を抱え込んでいるのか。 何を見ているのか。 何を考えているのか。 疑問は浮かび、しかし答えがでるものなどない。 答えをもつのはスザクただ一人だ。 ルルーシュにはわからない。 なぜならスザクではないから。 自明の摂理がはがゆい。 全てが欲しいだなんてそんなことは思わない――いや、心のどこかで思っているのかもしれないが、不可能だと知っていれば、望むだなんてそんな無駄なこと、していないつもりではいた。 なのに。 知らない、わからないことに苛立ちが募る。 貪欲な性。 飼う獣は肉食獣か。 凶暴なそれの牙は何に爪を立て、その爪は何を削り取っていくのか。 いまだ知らない結末に恐怖する。 だからそれを必死で押さえ込むのだ。 そして目を逸らす。 何も知らないといいたげに。 ――――無駄なことだと、知っていながら。 矛盾ばかりの心とは、一体どこに存在するものなか。 「ルルーシュ」 「……っ」 吐息のように囁かれた甘い声。 突然走った、これはたぶん痛み。 立てられた爪。 それはルルーシュの後ろ首に。 声と行動がちぐはぐで、けれどわかる。 これは心底怒っている。 笑顔で怒るだなんて高等技術を幼馴染はルルーシュの知らない7年間で身につけたらしい。 恨めしきは空白の時間。 「ここ、赤くなってる」 「は?」 それはお前が爪をたてたからじゃないか。 抗議の声はめったにめにすることのないスザクの低気圧の前に飲み込まれた。 「キスマークだよね」 低く、低く、とにかく低く。 過去最低を記録しただろうその声に、内容に、ルルーシュはいそいで考えをめぐらした。 キスマーク。 つける人物など目の前の酔狂な枢木スザクぐらいしかおもいあたらない。 だがしかし、自分でつけたそれにぶちぎれるほど理解不能な性格にまではいたっていなかったはずだ。 過剰な独占欲から考えても、他の誰かにつけられたものだろう。 しかし誰に? そこが問題だ。 そんなことをしそうな相手に心当たりがなければ、そんなところ、誰かに触られた記憶すらない――それこそ枢木スザクを除いて。 だいたい髪に隠れている部分に触れようとするならばまず髪が邪魔である。 つまりその犯人はわかりにくい場所をあえて選び、その上でルルーシュの髪に触れ、なおかつその首筋に唇をよせたということになるが、いくら考えてもそんなことをされれば必ず記憶に残るおのだが思い当たるふしがまったくなかった。 虫じゃないかと結局のところそこにいきついてしまうほど。 今度は髪を引っ張られることでスザクと顔をあわすことになる。 至近距離にあるそれに臆すことなどあってはならない。 とにかく今は事実だけを慎重に選んだ。 「身に覚えがないんだが」 「ふうん? そんなに無防備だっただ」 聞いちゃいない。 「虫じゃないのか?」 「随分と季節外れな虫だね」 「ないわけじゃないだろ」 「わざわざこんなところにってところで悪意を感じない?」 「だからたまたまだろ」 そう、たまたま。 …………たぶん。 いやしかし本当にわからないのだから仕方がない。 だいたいどうしてスザクもそんな隠れた場所にあるものを探しあてたりできるのか。 本当にこいつは犬並…………。 ちょっと待て。 ちょっと待てよ。 一人、心当たりがないわけでも、ない、ではないか!? 緑の髪が思考のはしをちらついた。 あの女! あの女。 そうだ身勝手で、スザク以上に酔狂なあの女。 C.Cならば同室で寝ているのだ、寝込みを襲うことなど至極簡単。 しかも毎日毎日部屋い閉じこもっているせいで暇をもてあましていると最近よくつかかってくるようになった――ルルーシュはわざとらしくからかわれているという言葉を選択肢からはずれた。 あの女ならばおもしろ半分にこんなことを仕掛けてきてもおかしくはない。 結果を知れば笑いこそすれ謝罪など一切ないに決まっている。 罪悪感のかけらも持つ気がなければそれをどれだけ簡単に行うかなどいまさら言葉をつくして説明するまでもないではないか。 「ルル? その顔だと、心当たりあるみたいだね?」 また声の低さの最低記録が更新された。 すばらしい。 世界で戦える。 いってくるといい。 そしてしばらく帰ってこなくていい。 そのあいだにあっちとは話をつけておくから。 「いや、そういえば昨日部屋に虫がいたような気がしたなと思って」 「ルルーシュ?」 笑顔で言った。 「君に覚えがないんなら仕方がないよね。よし、じゃあ、身体に聞こう」 たてられた爪が皮膚を破いた。 証拠隠滅。 |