melody for lunacy


 そこは暗かった。
 そこは冷たかった。

 けれど何より、そこは静かだった。





 何が悪かったといえば、計画よりも早くに参戦してきてしまった一人の男の存在だろう。
 第二皇子シュナイゼル・エル・ブリタニア。
 記憶の中であっても、誰よりも優秀な人間だった彼。
 次期皇帝と謳われる彼と、ルルーシュはそれなりに交流を持っていた。
 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、だ。


 チェスの手ほどきを受けた。
 勝てたのは……記憶にない。

 悔しい思いをしたが、それ以上に向上心を誘われて何度も挑んだものだ。
 そして負け続けた。


 だからこそ、知っていたからこそ計画は慎重に。
 一つでも駒を動かし間違えたその瞬間敗北が決定するのだから。

 ――否。
 動かし間違えることなくても、勝算は低かった。
 それでも勝たねばならない。
 思いがあった。
 決意があった。
 今まで流し続けた血への責任があった。

 計画は綿密に。
 慎重に。

 殊更気を使ってたてていたつもりだった。
 そう、所詮つもりにすぎなかったのだと思い知らされた。
 あの食えない男はいつも高みから見下ろして笑うのだ。
 そしてそれが誰よりも似合う男だった。


 計画は完璧と言えるほど彼に関しては自信があったわけではなかったが、それでも勝算のあるものであるはずだった。
 だが。
 それも前提条件が崩れてしまえばあっけないものだ。

 まさかこんな次期に、彼直々にエリア11に足を運んでくるだなんて一体誰が予想しえただろうか。


 黒の騎士団は崩壊した。
 あっけないほど簡単に。
 思いは足で踏みにじられた。
 あの男はきっと、指一つ動かさずに。


 ゼロは捕らえられ…………。






 処刑された。














 時間の感覚がない。
 何故ならここに陽の光は入ってこない。
 陽どころではない。
 ここは暗闇だった。
 窓がないのだ。 
 ほうっておけば人間の身体は25時間という体内時計にしたがって動くというが、極度のストレスの中、いつ寝ていつ起きているかもわからない状態で、もう何日目になるかすらわからなければそれもあまり意味をもたない。

 食事は普段は鍵のかかった小さな小窓からトレーにのっと差し出される。
 誰が入れてくるのかはわからない。
 こちらからは指一つ見えない。
 しっかり出されるのがむしろ不気味だ。
 味気ないそれは喉を通ったものではなかったけれど。
 ただ回数を数えてみたりもしたが、同じ時間に出されているのか日に何度だされているのかわからなければ意味がないのだと気付いてからはやめてしまった。


 だがしかし、時間の感覚がないことなど大した問題ではなかった。


 ここにいる限り時間などなんの意味ももたないものなのだから。


 暗闇、とはいえ目が慣れてしまえば薄っすらと輪郭が見えるほどだ。
 通気孔からの光なのだろう。
 密室にしてしまえばそのうち窒息死するかもしれないこともあり、とりあえず生かしておく意思が見えたことに、安堵すべきなのか絶望すべきなのか。

 だがそれも、特記すべき問題ではにない気がする。



 問題は、音がしないことだ。

 静かで、孤独で。


 ――――――――――気が狂いそうだった。


 正気を保てているとは思えない。
 だがまだ全てを放棄してはいなかった。
 正常ではないだろうが思考力も残っている。
 きっともともと狂っていたおかげだろう。
 そう思った。




 大きすぎる戦力の前に、小さな思いの塊が、ちりぢり舞ってしまったってからどれだけの時間がたったのだろう。
 銃を突きつけられて、兵士に連行された。
 ここへ。


 それ以来誰とも口をきかず、誰にも会わず、何も見ず、何も聞かず。


 意味もなく時間だけは腐るほどあった。
 考えてること以外何に費やせというのか。
 他に何もできず、思考だけがフル回転で。
 何度も考えた。

 舌を噛んで死んでしまおうかと。

 何度も、何度も考えて。
 そのたびに諦めた。


 ナナリーの名前が浮かんでしまえばもう何もできなかった。
 生きているのか、無事なのか、どこにいるのか。
 情報は何もなかったけれども。
 ここで死んでしまっては、ナナリーが本当にどうなってしまうかわからない。
 わからないことが怖かった。
 自信を殺すのはナナリーの現状を把握してからでも、そう遅くない。
 いつ死のうが何も変わらない。




 開かないドアをじっと見つめながら、 考えて考えて考えて考えて。



 考えれば考えるたびに何かを失っていくような気が、した。



 開かないドア。


 暗い部屋。
 硬く冷たい床。


 麻痺していく感覚。


 それでも孤独だけははっきりとした輪郭でそこにあった。












 開かないドア。







 開かない…………。






























 そして開かれた。


 それは前触れもなしに。





 静寂を壊したのは二人の兵士。
 顔は見えない。
 でも、人間だった。


 彼等は一言も発しなかったけれども、それでもそこには音があった。



 温度があった。


 両側を固められ、腕を後ろ手に拘束されて、体力がギリギリまで削られた身体はほとんどひきずられるようにして歩く。
 突如襲ってきた光に、目が対応できなくてぎゅっと閉じれば足元がふらついた。

 光は温かかった。
 けれど救いだなどとは思わなかった。
 世界はそんなに優しくなどないのだから。

 どこにゆくのだろう。
 無感動に思う。
 まさか今さらいきなり処刑だなんてことはないだろう。
 別に、それでもかまいはしないけれど。
 でなければなんのために何の情報もなく今まで生かされていたのかわからない。
 拷問も受けず、ただ放っておかれただけ。

 誰に会うのだろう。
 きっと身内だろうが、ナナリーではないのだろう。
 なら誰でも同じで、みんな憎しみの対象だ。

 突き飛ばされて床に転がった。
 腕が不自由なせいで起き上がれない。
 じたばたともがくような見苦しい真似をする気にはなれなかったので、変わりになんとか慣れてきた目を開けて上をにらみつけた。
 誰がいるかなど知らなかったけれども。
 誰であってもそれほど違いはないのだから問題は全くない。
 殊勝な面持ちなど誰がしてやるものか。



 ふわりと視界の中で、陽の光が、揺れた。





「久しぶりだな、ルルーシュ。まさか生きていたとは」



 悠然と微笑む顔がそこにあった。



「シュナイゼル」

 それが声になったかどうかは定かではない。
 ただ口でなぞればそれで伝わりはした。

 兄、と呼ぶ必要はない。

 お前が生きていてうれしいよと口にしながら、無様だなとその目が詰る。
 確かに無様だ。
 耐えられないほどに。
 動かない手を握り締める。
 強く。
 皮膚が破れるまで。


 長い指がルルーシュの輪郭をなぞった。
 ゆっくりと。
 至極楽しげに。
 そして顎をくいと持ち上げる。

 顔が近かった。
 噛み付いてやりたい。
 けれどそれには遠い。


 ジレンマだ。


 どうすればこの無性に神経に障る微笑を消し去ってやれるのか。




「ルルーシュ」


 愛しげに呼ばれれば背筋に寒気が走った。



「お前が死んだと聞いて私がどれほど哀しんだかお前は知らないだろう」


 きっとそうかと言って終わりだ。
 あれは可哀想な子供だったとでも言って、それで終わり。
 どこまで厚顔になれるのか。
 分厚い皮の下の顔はずいぶんと小顔に違いない。



「ナ、ナリーは」

 随分と掠れた声は懇願しているようで反吐がでる。


「ナナリーは無事だ。お前が心配するようなことは何もない。治療も約束しよう。あれからブリタニアの医療は日進月歩で進んでいる。もしかすると歩けるようになるかもしれない」

 嬉しいだろうというその顔は、何も知らぬものが見れば確かに兄のそれだった。
 けれど弟は、拘束されて床に転がっていた。
 なんとかひざをつく形にまでもっていこうと身をよじったが、それが成せても顔に触れる指は恐ろしく力が入っていて、それからは逃れられなかった。
 息がかかるほどに近くにある優美な顔。
 とはいえ今さら美形だからと感動するような感性など持ち合わせてはいないが。


「ただお前に会いたがっている」

 事実を告げる。
 楽しそうに。

 それがルルーシュを追い詰めると知っているから。


「ナナリーに手を、だすな」

「もちろんだ。あれも可愛い私の妹だ」


 白々しい。
 愛などその凍った瞳には見出せない。

「そしてお前もだ、ルルーシュ」

 愛しているよとそれは何だ。
 興味か。
 執着か。


「それともう一つ教えておいてあげよう」

 もったいぶった男が後ろに控えていた男に何か指示をした。
 恭しく頷いて何かを取り出す。


 チリン、と高い音がなった。
 場にそぐわない可愛らしい音。
 可愛らしくて、禍々しい音。


「ゼロは死んだ。大衆の前で首を刎ねられて」
「身代わりを立てたのか」


 声はだいぶ戻ってきた。
 まったく人間の身体というものは、思っていた以上に丈夫だ。
 簡単には壊れてくれない。
 そのくせ簡単に死んでしまう。

「ゼロは死んだ。それが事実だ。真実がどうであれ」

 わかるだろう。
 ルルーシュ。


 シュナイゼルが受け取ったそれを迷わずルルーシュの首にもってくる。
 後ろに引こうとしたが、やはり顎を拘束する指に阻まれた。
 カチっと小さく後ろで音がして、血の気が引いた。

 チリンと首で音が鳴る。


「ゼロの復活はありえない」


 首輪、だ。


 代わりとばかりに手ははずされた。


「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは7年前に死んだ。ルルーシュ・ランペルージもまた……。お前は今、何だ?」

 ゼロも死んでしまえば、0にすらなれないルルーシュが残った。


 シュナイゼルが要求する、否、つきつけるのはとても簡単なことだった。


「殺せ」

 叫んだ。

 男が哂った。

「大人しくしておいで。そうする限り世界は優しいよ。落ち着いたらナナリーにもあわせよう」


 ナナリー。
 このたった一つの名前だけでルルーシュを縛れることを知る男は、部屋から出るなといいながらあえて出れないようにはしない。
 鎖でつないでしまえばいいのに。
 そうすれば出れない理由になったのに。
 自分の意思で出ないのだと、見えない鎖は、見えないのではなく本当にないのだと、そうやって選べない選択肢を残されれば絶望が増す。
 つながれてしまえば、憎しみだけで生きていけたのに。


 生きるなという。

 同時に。

 死ぬなという。




 生かしもせず。
 殺しもせず。





 暗闇に閉じ込められた意味をここにきて理解した。

 あれは全てを洗い流してしまうための聖水だったのだ。

 事実ルルーシュは全てを捨ててしまった。

 辛うじてナナリーに手を伸ばしていたけれど。


 学校。
 どうでもいい。
 黒の騎士団。
 つぶれてしまった。
 所詮それだけのものだった。
 C.C。
 そういえばそんな女もいた。
 スザク?
 誰だ、それは。


  


 ゼロから0になって。

 ただシュナイゼルのもになるために。



 ルルーシュ・ランペルージという色も、ゼロという色も洗い落として。
 彼の色に染めるため。
 絶望に浸してしまえばあとはたやすく染まるだろう。








 飼い殺してあげよう。









 誰もが見惚れる笑顔で兄が言った。





 ここはシュナイゼルの自室だった。










 そして仔猫は主人の帰りを待つのだ。
 ベッドの上でまどろんで。