箱庭のカミサマ


「好き、……なんだ」


 そんな言葉が自分のテリトリーたる生徒会室で聞こえたならば、主を辞任するミレイ・アッシュフォードの仕事は生まれる。

 それは一体誰のことなのかなあ?

 顔をのぞきこんで迫って問い詰める。
 無理矢理にでも吐かせ、あとは生暖かく応援する。

 それはもう決まり事みたいなものだ。
 この箱庭を作ったときからの。
 ミレイ・アッシュフォードがミレイ・アッシュフォードである限り。
 それが彼女だから。
 もう作ったものか元からそうだったのかわからなくなってしまえば、箱庭を維持するために彼女はそう言わなければならないのだ。
 とはいえそれを苦にしてるわけでもなく、心の底から楽しんでいるから問題はないのだけれど。



 だから今日も彼女は聞こえた言葉に条件反射のように振り返った。




「なになにぃ? どうした」


 どうしたのかな?
 恋ですか、恋!
 あのルルちゃんにもついに!?
 いいねぇ若い者は。
 お姉さん応援しちゃうよ。
 で、お相手は誰なのかな?
 ほらほらほらいっちゃいなさいよう。



 台本があるかのようにそう続けられるはずだったミレイは、しかしその続きを言えなかった。


 喉に詰まったように言葉がでてこなくなってしまった。
 台本から文字が霧散して、真っ白になってしまった。

 好きなのだと彼にしてはらしくないと言いたくなるほど珍しい言葉を、またらしくもなく唐突に呟いたのだからもちろんそれが特別な意味をもっていることなどわかっていた。
 それが本気の思いだからだとしたのは確かに早合点だったかもしれない。
 けれど。
 けれど誰がこんな表情をしているだなんて予測しえただろうか。


 不安定に揺らめく瞳。
 それはまるで迷子の子供が必死に親を探すのに似た。
 けれど子供にしては不相応な切なさを秘めた。
 

 泣かないでと、言ってしまいそうになる。

 彼は泣かないだろうけれど。

 言わなかったのはそれがり理由ではなく、言ってしまえば弱さを見せた彼が、耐えきれなくなって頭より先に身体がおこしたのだろう助けをもとめた彼を正気に戻してしまうと思ったから。

 ここで正気づいてしまっては、彼は全てを抱え込んでしまう。
 既に悲鳴をあげているのだから崩壊はもういつくるかわからない。
 彼が壊れてしまう。

 恐怖に犯された危機感。


 だけどきっとそれだけじゃない。


 せっかく。
 せっかく選ばれたのに、と。

 他でもない自分が縋る相手に選ばれたことへの、歪んだ、けれど純粋な優越感。
 手放すつもりなどなかった。

 純粋な好意じゃないことに罪悪感などは抱かなかった。

 暗い歓びだけ。


「ルルーシュ」

 手を伸ばしてそっとその頬に触れた。

「ミレイ」


 かすれた声で彼がミレイと呼んだ。
 会長ではなくミレイと。
 箱庭の住人が創造主に感謝と敬愛をこめて呼ぶ会長ではなく、それ以前から近しい所に
立っていた友人としてミレイと呼んだ。
 みんなの会長ではなく、彼の知る一個人としてのミレイを求めた。


 どうして応えないでいられようか。



「好きだったんだ」

 そうねと頷く。
 誰のことだなんてそんなものはいらない。

「好きなのに」

 現在形と過去形が入り混じる。
 納得しようとして、でも無理で、混乱だけが残された可哀想なルルーシュ。
 ルルーシュ・ランペルージではなく、彼はきっと今はただのルルーシュ。
 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアでもなく。
 しがらみが縛らない、正直な思い。
 ギリギリまで追い詰められて、だからでてきてしまったきっと彼が正気に戻れば不本意だとしか思わないだろう、本気の思い。



 可哀想な子。
 愛しい私の子。




 泣かないでとは言わないわ。
 泣いてもいいから。
 傷つかないでこれ以上。





「私も好きよ」




 誰をと限定されなかったことをいいことにそんなことを言う。
 煙に巻こうとしているわけではなく。
 わざと話を摩り替えてしまおうと、しているわけではなく。

 ただ事実を事実として知ってもらいたくてというのは言い訳で。

 箱庭は彼に優しい世界であるから。
 常に優しい世界であるから。

 ミレイには、正しい答えがわからなかったから。


 自分の無力さを知って、でも出来ることを。

 飛び立とうとする小鳥の邪魔はしない。
 けれど傷ついたなら戻ってきて。
 ゆっくり休んで癒していけばいい。



 私が包んであげるから。

 私の愛しい子。
 傷をえぐらないで。
 痛いのだと言って。
 そうすればその傷口に口付けてあげるから。


「大好きよ、ルルーシュ」

 貴方に優しさを。
 結局傷つける嘘で作る優しさではなく、最後の最後まで守りとおす真実の優しさを。
 だから忘れないで。
 覚えていて。

 抱え込んだ頭を胸に押し付けて、眼下で流れる黒髪にそっと唇を落とした。

 私の思いは貴方を守る。

 世界は危険。
 怖いものがたくさんあるから。
 何がおこるかわからない。
 それでも貴方が本当に壊れてしまわないように。

 私の愛しい子。


 私が貴方を癒すから。


 世界が怖くなったらかえってくればいい。
 私の創った箱庭は、貴方に優しいものだから。
 かえっておいで。
 ここは貴方を傷つけない。
 私が傷つけさせない。
 私がここのカミサマだから。
 貴方を傷つけるものなんて創らないから。

 休息のためでいい。
 利用してくれて構わない。


 だから壊れてしまう前に求めて。


「大好きよ、ルルーシュ」


 これだけを繰り返して。
 他に言葉は必要なかった。


 体温に飢えた子供に母親のぬくもりを。