狸と狐とお花の話 




 なんだかやけに……。


 気に入らないとぽつりともらした彼女に、じゃれるようにその髪をさわっていた手が止まった。

 くるりと身体をまわされて対面する。
 自分が移動したほうがてっとり早いだろうに、横着者め。

 眼前に紫電の瞳がある。
 いつもの優しげな光を、そして少しだけ意地悪な、あるいはいたずらの成功した子供のような光が浮かんでいる。
 同じ色の瞳のはずなのに、まったく違う印象をうけるのはその人を喰った笑みのせいだろう。

 瞳の色だけではない。
 髪の色も、肌の色も構成するパーツや、紡ぐ声まで。
 何もかもが同じで、まるで鏡を見ているようなのだけれど。
 相違点が類似点よりはるかに少なくても――違いといえば彼と彼女、せいぜい性別のみと断言してしまってもいいだろう。普通性別が違えば兄弟だろうがなんだろうがそれなりに違いがでるものであるが、中性的な顔だちだけのせいにはできないほどによく似ている。
 けれどそれは確かに違うものだった。


 違うもの。
 そう、もの、だ。

 他人を指す言葉ではない。
 別々の意思をもった個だという話ではなく、それは、異質のものだった。

 何故なら彼には影がない。
 触れることはできるのに温度がない。
 言葉をかわすのに質量がない。

 幽霊だとか化け物だとか主張して騒ぐには出会った当時ルルーシュには余裕がなく、残念ながら時期を逸してしまい、なんだかんだで正体を尋ねることなくきてしまった。そもそも幽霊かと尋ねて肯定されてしまってもどうしようもないではないか。
 死んだ双子説はあまりに似すぎていたため、むしろ真実味にかけた。
 形をもたないものが自分の姿を借りていると言われたほうがよっぽど信じられそうだ。
 異性の姿をとっているのはせめてもの配慮とでもいうのだろうか。


 彼は何者なのか語ってはくれなかったが、ルルーシュの敵ではないことは保障してくれた。
 次にそれが信じられるかという問題が発生するわけだが、何せ自分と同じ顔なのだ。
 疑う方が難しい。
 それになにより――――。


 ルルーシュには記憶がなかった。


 判断するための記憶がという意味ではない。
 ルルーシュがルルーシュであるという記憶がなかった。
 己が己であるという自覚をもってもう半年になるが、その半年以外の記憶がまっさらなのだ。
 だからある意味でルルーシュは半年前に生まれた。


 とはいえ生活していくだけの能力と一般常識は持っているようだったので、まさかそれ以前は存在していなかったなどとSFのようなことはないはずだが。
 俗に言う記憶喪失というものらしい。

 よって自分が何なのかすらルルーシュのほうこそわからないのだ。
 その状態で人のことなど――人でないかもしれないが、何かもわからないので便宜上人としておく――とやかく言えたものじゃない。
 それに彼はルルーシュの名前を知っていた。

 ルルーシュがルルーシュであると教えたのは、目覚めたときそばにいたスザクだ。
 枢木スザク――知らない人。そもそも知っている人がいないのだから当然である。
 彼は目覚めたルルーシュの名前を呼んで、涙を流してきつくかき抱いた――苦しくて今度こそ死ぬかと思った馬鹿力め。
 知らない人、だったにもかかわらずその手を拒めなかった。
 気づけば背中に腕をまわしてさえいた。

 おそらくこれは刷り込みでしかないのだろうけれど。
 目覚めて一番に求められたから。
 スザクがルルーシュの理由になった。


 自分がつかめない、何もわからない、知らなすぎて不安にすらなれない空虚なルルーシュに、ここにいてと彼がすがったから、他に何も持たないルルーシュはここにいる。
 好き、とはまた違うのかもしれない。
 でもすべてが彼のためだから、そんなことは些細な問題でしかない。
 

 幽霊は幽霊で、彼もルルーシュが名乗る前にルルーシュと呼んだ。
 だけども枢木スザクとはずいぶんと趣が違うと思ったのが第一印象だった。
 スザクのような執着はなかった。
 何かを求めるわけではなく、何かを押しつけるわけでもない。
 ただ当然のようにルルーシュと呼んだ。
 もしかすると記憶を失う前、親しくしていたのかもしれない。そう思ってしまえば忘れてしまったという罪の意識に縛られているルルーシュにはもう何も言えない。


 幽霊は鍵のかかった部屋にどこからともなくあらわれて、ゼロと名乗った。
 本当は『ない』ものだからゼロ。
 いまいち納得できない理由だったが、他に呼ぶ名もないし、幽霊と呼ぶわけにもいかないからゼロと呼ぶしかない。記憶があれば、違う名前で呼ぶのだろうか。どれだけ考えようが答えなどでるはずがない詮無い疑問だ。
 とにかくゼロはそこにいる。
 幽霊だろうが何だろうがそれだけが事実だ。
 当たり前の事実すぎて、最近ではいない方が不自然だと感じるようにまでなってしまった。
 あまりにも、居心地がよかったから。

 スザクとは違う。
 スザクはルルーシュの思考を占めるし、ルルーシュを悩ませる。
 ゼロはそんなことはしない。
 スザクの考えていることはわからないけれど、ゼロはわかる。
 不思議なほどわかる。
 やはり同じ姿のせいだろうか。どこかでつながっているのだろう。
 理解できるわけじゃないけれど、感じることができる。
 だからゼロといる時、ルルーシュに不安はないのだ。
 穏やかでいられるから、楽でいい。


 そうだ、楽がいい。
 なのになんで自分からすすんでルルーシュを悩ますことしかしないスザクのことなんか考えなくてはならないのだろう。

 ゼロもそれを知っているので、ルルーシュが悩んでいる姿を歓迎しない。
 どうやらスザクにいい感情を抱いていないらしいのだが、それを言えばゼロは反対だといった。
 ルルーシュを悩ますからスザクが気に入らないのだと。
 ひよこと鶏の話になったのでその話はそこで切り上げたが、なんとも不毛なスパイラルだ。















「それで、何が気になるんだって?」

 ルルーシュの額に口づけてから切り出したゼロは、もしかするともう全部知っているのではないだろうか。
 ルルーシュにはたいがい甘いゼロだが、基本的に性格のほうはよろしくないのでそれもあり得る。
 それでもルルーシュから話しださなければ話はすすまない。


「ああ。なんだか今日、スザクがやけに構われてた気がして」



 探るように言葉を選ぶ。

 やけにといってもスザクを構う人間など数が知れてるし、彼らは基本忙しいからそんなにあからさまではなかった……と思う。
 ただ気になったのが、アーニャがスザクに何かを渡していたのと、それは何かとルルーシュが聞こうとした丁度その時に乱入してきたジノがスザクを連れて行ってしまったぐらいだが。
 珍しいことはその後にノネットをはじめとした手の空いているラウンズの面々が続いたことだ。

 なんとなく出鼻を挫かれてぽやんとしてしまっていたルルーシュにアーニャが一緒に行くかと尋ねてきて……。


「拗ねて行かなかったのか」


 笑われて視線を逸らした。
 行く理由がないから辞退した――建て前だ。
 みんな暗黙の了解のように知っていたことを知らなかったことに疎外感を覚えただけ。
 知らないことのほうが多いくせに。

 どこに行くのか。
 何しに行くのか。
 何故ルルーシュだけ知らないのか。
 そもそもルルーシュが行っていいのか。



 ルルーシュにはラウンズの名が与えられている。
 ただし、ナイトオブゼロ――いみじくも、自分と同じ姿形をした男と同じ名前を背負うことになったわけだ。
 ナイトオブランズは12人。
 ワンからトゥエルブまで。
 つまりルルーシュは13人目の、イレギュラーな存在というわけだ。

 なじめないとまでは言わない。


 けれど違和感は付きまとう。
 ルルーシュ一人だけが、騎士ではない。


 ルルーシュは戦いを知らない。
 戦争は知っている。
 どうやら戦略の才はあったようで、どうにかお荷物ではあっても無能の烙印は押されていないが、自分が荷物であるという事実が許せないではないか。
 それに対し、みなは得意分野で自分の能力を発揮すればいいと言うが、なんでもそつなくこなす人間に言われて誰が納得できるものか。
 余計みじめになった。


 疎外感はおそらく自分で作っている。
 そんなことはわかっている。


 でも認められない。
 大手を振って仲間だと言える実力を持たないから。

 役立たずだ。
 記憶もない厄介者。
 一人だけ何も知らない。
 何も持たない。
 何も知らせてもらえない。




「知りたいのか?」


 ゼロがそっとささやいた。


「知りたい。身不相応か?」


 若干の不安にかられながら聞けば、笑うような怒るような嘆くようななんとも言えない表情をされた。
 どうにもこの幽霊は人間くさい。


「具体的には何を知りたい?」
「とりあえず。俺だけ知らなかったことを。今日、何やってたんだろう」
「……食事に行ってただけだろう」


 さらっと返されたが、聞いていることはそんなことではないし、答えるまでに一瞬あいた間が気になった。


「ゼロも知ってるのか?」
「知らない。興味がないからな。ただ予想はつく。それだけのことだ」

 それだけのこと――でもルルーシュはわからない。
 そっと溜息をついた。
 なんだか情けない。


「仕方がない。お前には記憶がない」
「記憶があったら、知ってたことだったのか?」
「まあ…………な」


 中途半端に飲み込まれた言葉はわからない。
 けれどどうやら本来は知っているはずのことらしい。

 本当に思う。
 何故自分は記憶を失ってしまったのだろうかと。

 悔やむ気持ちよりも純粋に疑問に。


 答えをおそらくゼロは持っている。
 だが答える気がないのだ。


「教えてくれ!」

 ゼロがルルーシュには甘いことを承知ですがった。
 ゼロはおそらくルルーシュのためだからといって無理を通すことはない。
 しかし、譲れるところなら譲ってくれるはずだ。

 実際ちらっと時計に目をやってからうなずいた。
 ただし条件はついたが。
 
「わかった。でも先にシャワーを浴びておいで」
「なんでだ? シャワーが何か関係あるのか?」
「いや、ない。ただ時間の問題だ」

 おそらく今からシャワーを浴びて出てきた時間くらいがちょうどいいだろう、と。
 別段シャワーを浴びなくても時間がきたら教えてくれる気はあるらしい。


「時間が関係あるのか?」
「どうかな。あると言えばある。それこそが重大なのだということもできる。だがまた大切なのは時間ではないとも言うこともできる。ようは主観の問題だ」
「時間でないとしたら大切なのはなんだ」
「行為かあるいは気持ちか」


 ほら、シャワーへ行っておいでと謎かけのような言葉とともに送り出された。
 時間まで教える気がないと言うのだったら、ここでどんなにあがいても意味はないだろう。
 妥協点を認めてルルーシュも渋々うなずいた。




 このときのルルーシュが時間の大切さを理解していなくてもそれは仕方のないことである。
 気持ちも行為を確かに大切なものであるが、それは立場による。
 ルルーシュの立場なら同順1位に時間がくるはずだと、もちろんゼロが知らなかったわけがないだろう。


 7月10日、すでに時は午後11時をまわっていた。





























 信じられない。

 ルルーシュは走った。

 走れば間に合うから走った。
 走ってももはや間に合わないとなれば諦めもついたものを、走らなければ間に合わず走れば間に合ってしまうことがわかるのだから走らざるを得ない。


 忌々しい。



 教えてもらった身で悪態をつく権利などないのかもしれないが、相手は全部わかった上でやっているのだ。
 文句の1つ2つ……7つ8つ…………いや20、30言いたくなると言うものだ。

 時間の調節に関しては不確定要素が入っていたにも関わらず見事なものだと思うけれども、嫌な奴だ。
 そのせいでルルーシュの息はあがるし汗がじわりと浮かんでくる。
 シャワーを浴びたばかりだというのにもう一度浴び直さなければならないではないか。
 …………悪意すら感じてきた――運動不足の可能性はあえて切り捨てた。だいたいゼロはルルーシュが体力にそこそこしか自信がないことだって、ラウンズの他の面々とは違い鍛えられてないことだって知っているくせにこんなことをするのだから、やっぱり正しく嫌がらせなのだ。


 ぜえぜえ息をきらせてやっとのことで目的地にたどり着いた。
 所要時間は記録的だというのに今までで一番遠く感じた。

 だが11時58分――間に合った。

 普段だったらドアをノックするのだが、今日はそんなロスをしていればせっかくルルーシュが走ったのが無駄になる――間に合いたいというよりは自分の努力を無駄にしてなるものかという気持ちのほうが重くなってきたように思えるが、要は目的が達成できればいいのだ。

 それに、部屋の主は許可を出してる。
 今までは礼儀を重んじて使わなかっただけで、むしろ積極的に使ってほしいとまで言われているのだから躊躇う理由はない――誤解を招きそうな物言いだが、どうやらこの間部屋の前で待っているうちにうとうとしてしまったのがまずかったらしい。頼むから中で待っていてくれと懇願された。

 ルルーシュは個人認識のロックを解除して部屋に――スザクの部屋に転がり込むように飛び込んだ。


 丁度彼もシャワーをあびたところだったのかズボンに上半身は裸で肩にタオルをかけた状態で振り返った。


「へ?」
「スザク!」



 随分と間の抜けた顔だ。
 濡れた髪は天然パーマがいまだけストレートになっていて、一瞬ぽかんとしそうになってしまったがそんなのは後でできる、今はすべきことがあるだろうと無理矢理追い払って勢いのままスザクに抱きついた――体当たりしたと言うのかもしれない。
 もちろんスザクが抱き止めるとわかっていたからしたのだ。



「る、ルルーシュ?」


 ああ時間がない。

 都合のいい位置にあったタオルを両手で引っ張ればスザクの頭が落ちてくる。
 素早く額にキスをして。
 早口に言い放った。



「誕生日おめでとうっ!」


 言い終わるか終わらないか。
 時計の短針が12をさした。


 ギリギリだった。
 本当に危なかった。

 だが目的は見事達成した。
 時間内に成し遂げたことに大いに満足したルルーシュがそこでやっと肩の力をぬけばずるずると崩れてしまったので、スザクがあわてて抱き止めた。


「ルルーシュ?」
「間に合ったな。なんとか間に合ったな」



 ここまでくるとスザクの誕生日を祝う――といっても言葉以外なんの用意もなかったわけではあるが――という大義名分よりも、ミッションをクリアできるか否かに全てを注ぎこんでいる気がするが、間に合ったのだから反論があっても却下だ。


 祝う祝わないを意地の問題に見事すり替えることに成功したゼロは今頃高笑いでもしているに違いない。


 全く意地が悪い。


 スザクの誕生日を知らなかったのはルルーシュでしかも間に合うように教えてもらったわけだが、相当祝いたくなかったらしい。
 普段から自分のことは枢木スザクにだけは言うなと繰り返しているが、ゼロがスザクに向ける感情はどうにも歪んでいていけない。
 そういえば気に食わないとは言っても、嫌いだとは聞いたことがない。
 嫌いと同義語なのかもしれないが、それにしては詳しすぎるし、あれこれと聞きたがるのは何故だろうか。
 しかもこの間なんてこっそり手助けまでしていた。
 何がしたいんだろうか。



「ルルーシュ、一体どうしたっていうの?」


 不思議そうな声色からは誕生日を祝ってもらえた喜びよりも疑問のほうが大きくて若干気に食わない。
 だから息が整うのを待ってからルルーシュは憮然とした表情でスザクを見上げた。


「なんだ。俺がおめでとうって言いにきたのは気に入らないのか」
「まさか。でも昼間はそんな素振り全くなかったじゃないか」
「仕方ないだろ。知らなかったんだ。さっき聞いて慌ててきたのに」


 こなかったほうがよかったのかといえばスザクはぶんぶん勢いよく首を振った。



「嬉しいよ! ありがとうルルーシュ」


 最初からそう言ってればよかったのだ。
 ルルーシュも満足してうむと頷いた。



「悪いな、知らなかったものだから何にも用意できなかったんだ、プレゼント」
「え、いやそんなのは全然いいよ。ルルーシュにおめでとうって言ってもらえたのが一番うれしい」


 そうかと安心して笑ったルルーシュにスザクも微笑んだ。
 プレゼントは後日あらためて贈ろう。
 それでも大したものは用意できないだろうが、こんなにバタバタおめでとうとだけ言ったのではルルーシュのほうが収まらない。




「当日に用意できなかったからな、何か欲しいものがあったら言え」

 なんでもいいぞと言ってやればスザクは苦笑した。



「本当になんでもいいの?」




 あまりむちゃは言うなよと釘をさしてうなずいた。




「じゃあ君がいい」



 何気ない口調で言われた。


「ルルーシュがいい」




 にもかかわらず、ルルーシュの身体がひくっと震えたのは、自覚があるのかないのかスザクの本気にあてられたのだ。
 真剣なくせに、真摯ではない。
 獰猛な獣がゆったりと横たわっているように見せて、その実爪をとぎ、狙いを定めているかのように。


「髪、ぬれてるね。シャワーあびてたの?」

 ポン、と湿った頭に身長差の割に大きさに差のある手がのせられた。

「ねえ、ちょっと考えが足りないよ。夜遅くなってから部屋に来るなんて」
「し、仕方ないだろ! さっき知ったんだ!! じゃあこなかったほうがよかったっていうのか」

 さすがに少しかちんときてルルーシュは声をあらげた。
 対するスザクは動じない。


「どうかな。僕はうれしかったけど、軽率ではあると思ってるよ。ところで気になったんだけど、シャワーまであびた状態でこんな時間に、誰から聞いたの?」


 口調は丁寧で優しげなくせに、視線がちりちりと肌を焼く。
 本能で感じた危機感に、さきほどのやりとりが頭の中で流れた。























「誕……生…日? そんなの、だってあいつ、何にも!」

 そんなの聞いてないと青くなったルルーシュにゼロは冷たいほど淡々と続ける。


「この年になって自己申告する奴もいないだろう」

 それは、そうかもしれないが。
 けれど本人が言わなくても周りの人間がみんな知っているのだったら教えてくれてもいいのに。
 ゼロも……。
 いや、ゼロは責められない。
 そもそもスザクを快く思っていないのだから誕生日を祝おうなんて発想がないはずだ。
 だから覚えてて、その上で気づいて教えてくれただけでも感謝しなければ。
 もっと早く教えてくれればいいのにと思うのも傲慢なのだろう。
 半年もあったのだから事前に準備してしかるべきだったのだ――そういえば自分の誕生日さえ知らない。


「ああでも俺、なんにももってないっ」

 今知ったのだから当然だ。
 それにここで何かを見つくろってもとってつけたようなそんな適当なものはいやだ。
 プレゼントなんてものは相手のことを考えて選ぶから意味のあるものなのだから。

 せめてあと一時間早く教えてくれたら、簡単にでも夜食の差し入れぐらいしてやれたかもしれないのに。

 こうなるとできることは一つしかない。


「とにかくおめでとうくらいは直接」
「こんなに時間に行く気か?」
「寝てるかな」

 なら叩きおこさねばならないが、その時間のロスは痛そうだ。

「じゃなくてだな」


 何かを続けようとしたゼロだが、ルルーシュの顔をみて諦めたように吐息をこぼした。

「止めても無駄みたいだな」
「今ならまだ間に合うだろ」
「やはり日付が変わってから教えてやるべきだったか。声だけは満足できないか?」

 通信機を示されて首をふる。

「間に合うのに?」

 そうか、わかったと言ってゼロはルルーシュに小さな箱を渡した。
 10cm四方ぐらいで、軽い。
 緑のリボンがかけられていた。
 典型的な様相をしている。


「プレゼント?」
「いや、武器だ」
「は?」

 小さくてかわいらしくて、しかも軽いそれをして、プレゼントではなく武器ときた。
 何故武器が必要なのかそこから問い詰めたいところだがあいにくと今は時間がない。
 それはおいておこう。
 だが、相手がスザクでこんなものが何の役にたつというのだろうか。
 用途など投げるくらいしか思いつかない――当たる図がまったく想像できない。

 それとも中身が問題なのだろうか。


「物騒な物なのか?」

 まさかとは思うが爆弾なんかでは困るのだが――いやまさか。さすがにそれはないだろう。近くにいるルルーシュまで危険にさらされてしまうではないか。


「いや。無害なものだ。使い方が重要なんだ」


 よくお聞き――親が小さな子に諭すように。


「ルルーシュは女の子であいつは男だ。男なんてみんなけだものなんだ。こんな時間に行くなんて夜這いと勘違いされても文句は言えないぞ」
「俺は別にそんなつもりはまったく」
「そう、そこが問題だ。合意なら俺もあまりうるさく言う気はないが」


 驚いた。
 貞操は大した問題じゃないという。
 目を見張ったルルーシュに、ゼロは合意ならともう一度繰り返した。
 ルルーシュが望むことならば止めないと。


「男は馬鹿な生き物だからな。こんな時間に行ってごめんなさい、プレゼントは用意できなかったの、なんて下手ででてみろ」

 そんな口調はいやだ。


「たとえ本気じゃなかったとしてもあわよくばぐらいは考える」

 スザクはそんなことしない――とは言えなかった。


 正直なところルルーシュはスザクのためにここにいるのだから、求められれば抱かれること自体におそらくそこまで嫌悪感は持たないだろう――試してないから自信はない。
 だけど…………。


「プレゼントにされるのはなんか、いやだな」


 プレゼントがないならじゃあかわりにこれでいいや、と言われてしまうのはおもしろくない。
 ここにいて、とすがってきたときぐらい真剣な気持ちだったらルルーシュだって真剣に考えるけれど。
 あわよくば、という言葉は気に入らない。


「また後日あらためて、何か贈りたいのなら贈ればいい。とりあえずこの場はそれ押しつけて付け込まれないうちに帰っておいで」

 武器、というよりは小道具らしい。


「中身はなんだ?」

 ふってみたら小さくカタカタ音がした。


「俺から枢木スザクへ心をこめたプレゼントを入れておいた」


 何か、笑顔が――嫌な感じだ。
 きっとろくなものじゃないのだ。
 あまり使いたくないなと思った。
 だってゼロからだなどとは言えないから、この小さな箱はルルーシュからのプレゼントになってしまう。
 まさか軽蔑されるようなものが入っているとは思わないが、なんとなく不安だ。

 最後の手段にしよう。


 願わくば、使う機会のないように。


 気づけば残り10分をきってしまっていて、ルルーシュはあわてて飛びだした。























 残念だ。




 いつのまにか腰にまわっていた腕がルルーシュを引き寄せる。
 顔が近くなった。



 まことに残念だ。


 中身に対する不安はつきまとうが結局最後の手段に頼るしかないということか。
 覚悟をきめてルルーシュは小箱をとりだし、距離をとるように腕をつっぱってそれをスザクに押し付けた。


「やっぱりお前なんかこれで十分だ!」

 もうどうにでもなってしまえと叫んで無理やり受け取らせる。
 無駄に高価なものだったらどうしよう――ゼロのことだからないとは言えない。だって幽霊は値段なんて気にしないだろう。そもそも物を平気で手に取っている時点で幽霊としてはおかしそうだが。


 両手で受け取らせたことで拘束もとけ、目的も達成したことだし退却すべしとルルーシュはさっさと踵を返して部屋の外へ向かった。
 そのまま飛び出そうとして、だがやはり、と足をとめた。




「適当なこと言ってないで、ちゃんと欲しいもの考えてろ! そしたら用意してやる。いいな!」


 ゼロからのプレゼントを渡してそれきりにしてしまえば、ルルーシュは何もやることができないではないか。
 それはそれで残念なので、声高に言い放った。


「え、ルルーシュ、これはなんなの?」
「お前がアホなことを言い出した時用の繋ぎだ。だから中身は期待するな!」


 わめいて、スザクがあっけにとられている間に部屋をでた。

 運動なんか積極的にしたいものではない。
 けれども、中身を見たスザクにおいかけられるようなものだったら嫌だなと考えて、少しでも距離をとろうと走って帰った。
 どうせシャワーは浴びなおしだ。

 とにかくミッションはクリアしたのだ。
 問題ない。



 笑いながら迎えてくれるだろう勝手に住み着いたルームメートにちゃんと中身を聞いておこう。

 



























まいったな。

 あわただしくやってきて、あわただしく去って行ったルルーシュに、スザクはそっと溜息をつく。


「本心だったんだけどな」


 適当なこととは心外だ。


 じゃあルルーシュでいいや。
 ではなく、一番欲しいものを欲しいと言ったのだが。
 伝わらなくて肩を落とす。



 まあこんなシチュエーションでつけこむようなのは趣味ではない。
 それに焦らないと決めたのだ。
 ルルーシュはスザクのすぐそばにいる。
 今はそれでいい。
 ルルーシュに子供のそれだったけれど、自発的にキスまでしてもらえたことだし、今日のところは満足だ。

























【おまけ】




 困惑。
 その2文字がピッタリはまる。


 それでも律儀に両手を合わせたスザクにジノが気付いた。


「スザク! なんだそれ」


 それ、といって指すのはスザクの今日の朝食だ。
 今までは郷に入れば郷に従えと小麦を主食とした朝食メニューをとっていたが今日は違う。


「ライス」
「や、それはわかるけど」



 白米だ。
 自分で炊いた。
 白米といえば味噌汁。
 朝食なのだから焼き魚も是非とも欲しいところである。
 漬け物も恋しい。
 ああ焼き海苔。
 豆腐に醤油の組み合わせは外せない。

 やっぱり日本人なら和食だよな、と白米だけを前にして思う。
 なんとも侘びしい朝食だと人は思うだろう。
 ともすればラウンズの評判すら落としそうな行為だが、味噌すら手に入らなかったのだから仕方ないではないか。
 スクランブルエッグだなんだのと不純物に汚されたくないと思ってしまえばこれしか残らなかった――もっとも和食だなんだのと言っても庶民の朝ご飯などめちゃくちゃなものだが。何せ基本が夕飯の残りだ。味噌汁に麻婆豆腐と林檎の入ったヨーグルトにコーヒーをだされた時はどうしようかと思った。どうしようも何も問題なく完食したわけだが。無国籍料理。量さえあれば問題なし。
 今思い出したのだが目玉焼きか玉子焼きでも作ればよかった。


 だが贅沢は言えない。



 こんな異国の地では一つでも手には入れば喜ばしいことである。

 惜しむらくは茶碗が手に入らなかったことだ。
 おかげで平たい皿はなんとも風情がない。
 皿で味がかわると主張するほど繊細な神経をもってはいないが。


「今かき混ぜてるのだよ」
「……………………………………納豆」



 珍しくも手に入った日本食は、入手経路がなんともふるっている。
 昨夜ルルーシュがくれたのだ。

 いったいどこからどうやって。



「なんか糸ひいてるけど、それ食うのか?」

 げっとつぶやくのは慣れない異国文化の食べ物だから仕方ないのだろう。
 スザクだって食べる習慣のないゲテモノ料理をだされたらちょっとためらう。


「腐ってるんじゃないのか」
「腐ってるよ」


 なんとも言えない顔になったジノにちょっと笑った。


「そういう食べ物なんだよ。日本の発酵食品だ。ちょっと癖があるから好き嫌いはわかれるんだけどね」


 ちなみにスザクは好きなほうだ。
 だからたしかにうれしいと言えば、うれしい。

 しかし、だ。


 中身を期待するなと言われたものでもあるし、落胆などとんでもないが、なんで納豆?とは思う。
 いや、わかる、には、わかる。

 わかる、の、だが。


「どうしたんだよそれ」
「ルルーシュにもらった」
「………………何で?」
「7月10日だったからだと思うけど」

 そう、納豆になった理由はわかる。

「誕生日だから?」
「いや、どっちかっていうと7月10日だったからかな」

 十分に糸を引いたところでごはんの上に落とした。
 やっぱり皿に風情がない。


「Jluly 10th?」
「日本語で『しちがつとうか』って言うんだ。『しち』は『なな』とも言って、『なな』と『とう』で納豆の日」


 要はダジャレなわけだが――その正月のおせちからして日本の文化などそんなものである。よって二重の意味で日本文化をプレゼントしてくれたわけだが。


 誕生日なのだ。
 誕生日プレゼントと言ったのだ。
 さらに包装までされていて。


「へえ、おもしろいな」

 

 本気でよかれと思ってやったのか、それとも嫌がらせなのか――だっていくら日本食とはいえ、納豆の日とはいえ、プレゼントに発酵食品はどうなんだ。大豆は素敵な食品だけれど。
 わからない真意にスザクはそれからしばらく悩まされることになった。