小鳥の猟師の話


 

 肩をだいて、笑いかけて髪型を誉めて耳元に口を寄せる。

 彼女はちょっと照れたように笑い、破顔し耳を赤く染めた。

 


「ねぇ」
「なあに? どうしたの?」

 


 なんともくだらないことだ。


 腹の中ではめんどくさいと悪態をつくが、もちろん表にはおくびにもださない。
 毎朝気合いを入れて巻いているんだろう染めた髪を戯れに指にからめる。

「今日はスザク君のうちに行きたいなって。駄目?」

 

 おそらく可愛いの部類に入るだろう女の子のいじらしい表情を前にしても残念ながら心がわき踊ったりはしなかった。
 まあ、こんなものかなと抽象的な感想で終わる。


 それにしても髪が傷んでいる。
 定期的に染めているんだろう。
 パサパサで、チクチクして、触ったことを後悔した。
 本人は可愛く見せるための弊害だと認識しているのかもしれないが、髪を染めたからといってなんだろう。流行りの髪型にしたからといってなんなんだろう。
 顔はかわらないのに。
 その顔だって化粧で補正が入っているのだから、彼女はそんなに自分の素顔に自信がないのだろうか――世の中の女の子ってものは、みんな似たり寄ったりだ。

 


「もちろんいいよ」

 

 そろそろこの子はもういいな。


 そんなことを考えつつ枢木スザクは頷いた。

 

 

 

 

 

 自分が人間として最低に分類されることなどわかっている。


 けれどそれが一体なんだというのだ。
 他人から押し付けられる評価に興味はない。
 興味があるのはいつだってたった一つだけ。

 


 背中に突き刺さるような視線を感じてスザクは嬉しくなって、隣の少女に優しく微笑んだ。
 彼女がさっと頬をそめる。
 まあこれくらいしてやってもいいかなととても寛大な気持ちになったのだ。

 本当に彼の威力はすごい。

 

 感情を抑えきれない紫水晶の瞳が、瞬きもせずにスザクを見つめる――睨みつける。
 後ろをわざわざ振り返らなくてもどんな表情をしているか簡単に想像がついた。


 不機嫌そうに不愉快そうに。
 そして――ここが重要だ――苦しそうに。


 長かった。ここまでくるのに本当に時間を費やした――だがまだ足りない。
 こんなものでは駄目だ。
 苦しんで、狂ってもらわなければ。


 手強いなあと思わず口元にはいた笑みは愉悦だった。
 隣の女は気づかない。

 

 手強い相手に自分もよく持っているものだとちょっと拍手でもしてやりたくなった。


 ルルーシュの気持ちをスザクは知っている。
 当然だ。
 口にだしてしまえばなんとも滑稽な単語だが、2人は「付き合っている」のだから。


 男同士だとか倫理だとか生殖だとか、そんなことはどうでもいい。

 スザクが好きだと告げて、ルルーシュが俺もだと言った。
 その言葉が全てをねじふせる。
 この一言でスザクは世界だって滅ぼすだろう。


 今だってスザクと隣の女を射殺しそうなほど激しく見つめる視線は、それでも確かな熱をもっている。
 だから疑うことはない。
 彼の心はスザクのものだ。

 けれども足りないのだ。
 だから仕方がない。


 スザクは欲張りだから、足りない。
 ルルーシュから与えられる暖かな愛情だけでは足りない。
 もちろん足りない愛情を好きでもない女からのそれで代用する気などさらさらない。というか無理な話だ。こんななんの価値もないものをどうしろというのだ。
 こんなもの、ルルーシュの何気ない「バカ」の一言の前でさえ石ころほどにも意味を持たない。

 

 心が渇いてる。
 足りない。
 まだ足りない。


 最近やっとルルーシュは怒りを見せてくれるようになった。

 

 元来、その生まれのせいかルルーシュは己の気持ちを素直に現すことをしない。
 恥と思っているのもあるだろうが、感情を利用することを知っているがゆえに利用されることを恐れてだろう。
 しかもその上で鈍いときた。
 だから最初スザクがルルーシュを好きだと言ったその口で女の子に可愛いと言おうが、ルルーシュの視線はスザクにむけられることはなかった。
 そのときは他意などなくて、しまったと振り返ったスザクは、けれどルルーシュの瞳に何の感情も見つけられなかったことにどれだけ絶望したことか。


 こんなものなのかと思った。

 


 表に出す出さないで人の気持ちが計れるものではないと重々承知している。
 また、その時のルルーシュの心情を赤裸々に吐露されたとてスザクは満足できなかっただろうから、問題はそこではないのだ。

 

 ルルーシュの思いは、どれだけ多く見積もっても意志の力で抑えてしまえる、その程度なのだ。

 

 なんてことだ。

 

 気づいて愕然とした。

 

 こんなのじゃ足りない。
 全然満足できない。


 スザクの器はとっても狭くて、対してルルーシュは広い。
 それぐらい知っている。
 広くて、深い。

 だからこそ足りない。


 どれだけ存在してても、全体の何割か、でしかないのだ。
 全部じゃない。
 全部欲しい。
 スザクでいっぱいになればいい。
 溢れて、そうだ、ほかの何かが入り込めないように器なんか壊れてしまえばいいのだ。

 

 だからスザクは壊すためになんの感情も持たない女に愛をささやき、興味のない身体を抱く。
 真実欲しいのはいつだってたった一つだけ。
 一つでいいのだ。
 他はいらない。
 そう考えると謙虚な気さえしてきた。

 


 欲しい一つのための、これは手段だ。

 


 だから早く。

 

 もっともっと。


 嫉妬して。


 嫉妬に狂って。

 

 

 

 


 はやく堕ちておいで。

 

 

 















 

 

 

 




 名前も知らない女の腰を抱いて、視界の端から消えていく男の姿を窓から見下ろす。
 憂い顔。
 まさにそう表現するのがいいだろう。

 かたくひきむすばれた口唇。
 よせられた眉。
 不安げに揺れる瞳。

 こぼれた溜息――否、これはルルーシュではない。


 窓からスザクを見送ったルルーシュの背中にむかって、緑の髪の女が深く溜息をついた。

 一方のルルーシュはといえば、かたく引き結ばれていたはずの口元をむしろほころばせていた。
 楽しそうに、喉をくつりと鳴らした。

 

「楽しいか?」

 問いかけるC.C.の声は冷ややかだ。
 ルルーシュは答えずに軽く首をかしげてみせた。

 

「可愛いだろう?」

 C.C.も本当に答えがほしかったわけではあるまい。
 一見無邪気な印象すら受けるが、その実毒しか持っていないと知っている共犯者を見つめる。

 

「いつまで続ける気だ」


 うんざりした口調にルルーシュは軽く眉を上げた。
 心外だ。
 うんざりするほど長く続けている覚えはない。
 むしろはじまったばかりではないか。


「急いては事を仕損じるという言葉を知らないのか、魔女。だいたいお前にとっては一瞬に等しいだろうが」

 

 時間から取り残された異物のくせに。
 何年生きているのかと聞けば答えるだろうか。
 まあ聞いたところで何が得られるわけでもないが。


「お前が言うのかルルーシュ。計画を大幅に前倒しして反逆をはじめたお前が言うのかそれを」
「ものごとには時期があると言ってるんだ。まだだ。まだ熟しきってない」
「わからんな。お前は何がしたいんだ」


 C.C.が窓の外を見やった。
 先ほどスザクが通ったそこを。
 今は誰もいない。


「あれはお前の男だろう」


 魔女は人の男をあれ呼ばわりし、恋人はそれを咎めない。
 それからしてどこか違和感を覚えざるを得ない光景だが、先ほどからの異様な様子を前に霞む。

 恋人が浮気に走るまさにその現場を目にしながらその背中を笑って送り出したのだから。
 C.C.でなくとも不気味に思うはずだ。
 同性という性別の問題があるがだからといって浮気を許すことには普通繋がらない。
 お互いに演技だと割り切って世間の目を欺いているのだといわれてもその欺く必要性を真実考えているのなら、まず校内でのおおっぴろな仲良し状態をどうにかするだろう――とはいえ目的をそれとするのならばある意味で達成されているわけなのだが。どうやらあまりにも堂々としているものだから邪推するだけ馬鹿らしいという心境になってしまっているらしい。余談だが。

 

「浮気は公認か?」


 まさかそんなはずはない。
 C.C.は否定があることを前提に突きつけているだけにすぎない。

 枢木スザクの気持ちならわかる。
 わかりたくなどないが、これでも長生きしているのだ。
 否。していなくてもわかっただろう。

 嫉妬して欲しい。
 そんな言葉では収まらないほどどろどろとした執着を溢れさせてはいるが、簡単にいえばそれだ。
 自分が執着するほどに相手にも執着してほしい。
 もちろん理由が明確ならばしていいことにはならないし、はっきりいって外道の行為だ。

 それでもあれならば、あのあからさまな様子になら「いじらしいじゃないか」と言ってやってもいい。
 年の功だ。人間の醜さなど知り尽くしている。
 一つしか求めていないというのだから可愛い奴ではないか――と、言ってやろうと思っていた言葉はしかし終ぞその機会を得ることはなかった。


 ルルーシュは笑う。
 いっそ穏やかな目で彼と、浮気相手の背中を見る。
 あくまで背中をだ。
 正面からは、それこそ男の望むように睨みつける。
 憎悪と嫌悪と狂気をちらつかせて。


「あいつは俺のじゃないし、そもそも俺は浮気だとは思ってない」


 およそ恋人を名乗るものの言葉ではない。
 ルルーシュはそれをよく自覚していた。

 

 恋人を名乗ることに抵抗はない。
 だが違うのだと言って、どれだけの人間からの理解が得られるだろうか。


 己が相当に歪んでしまっている自覚はある。
 問題なのは矯正しようと思えないことだ。


 スザクには申し訳ないと思うが。
 生来の性質なのだ。
 もはや変えられるとも思わない。


 だから悪いなと嘯く。
 可哀想にと、1ミリくらいは思って。

 

「まさかあの2人が食事だけして帰ってくるなどと考えているわけではあるまい?」


 若干いらっとした調子でC.C.が言った。
 どうやらルルーシュの真意がよく見えないのが気に入らないらしい。
 魔女にまでそんなことを思われてしまうだなんて、そこまで異端なのだろうか。

 


「なあ魔女。俺とあいつじゃ根本が違うと言えばわかるか?」
「わからん」


 抽象的すぎるとC.C.は首をふり、ベッドに勢いよく腰を落とした。
 丁度ルルーシュと対面になるように足を組む。
 続きを促されているらしい。
 どうして人の惚れた腫れたにそこまで首を突っ込みたがるのかルルーシュは理解に苦しむが、暇なのかもしれない。日がな1日家に閉じこめているのだ。だからといって娯楽にされるのは心外なのだが。

 

「あいつが俺に対してもってるのは恋愛感情だ」
「お前は違うっていうのか」
「違うな」


 本当に根本の問題なのだ。

 

「俺のは物欲だ」

 


 物なのか者なのかといった議論はこの際どうでもいいことだ。
 重要なのは「欲しい」
 この一言に尽きる。

 

「あいつもお前を欲している。何が違う?」
「あいつのは独占欲だ」

 

 ルルーシュの感情はもっと質感がない。
 やはりどこかおかしくなってしまっているのだろうか。
 熱を持てない。

 

「執着であり、問題にしてるのは心のあり方だ。だが俺は心なんて不確かなもの、どうだっていいんだよ」


 問題にしていない。
 あるいはできないだけなのかもしれない。
 目に見えない、形のないものが信じられない。
 移り気な、確かでないものは求めても仕方ない。
 重みがないから手の中からすべりおちても気づけない。それが怖い。

 確かなものが欲しい。

 

「俺が欲しいのは事実だ。あいつが俺のものであるという紛れもない事実」
「気持ちに保証をつけることはできないぞ」
「だからいっそ気持ちはどうでもいい。あいつが拘る行為とやらも問題ではない。だがまあ、俺はあいつを愛してはいるから」

 

 望むのならば望むように振る舞ってやるのはやぶさかではない。
 嫉妬を求めるのなら与えてやろう。
 確かに可愛らしい願いだ。
 ましてそのせいでルルーシュに向けられる執着が煽られるのならば効率もいい。
 一途だろうと言えば気持ちが悪いと一刀両断された。

 


「何をもって手に入れたとするんだ。契約書でも書かせる気か」
「おもしろい手だな」
「ならなんだ。物理的に縛ってつなぐのか」
「視覚に楽しそうだな」

「ならなんだ」


 名前を刻んでやるのか。
 焼印を?
 それとも喰らってやるのか。


 C.C.の案はおもしろい。
 幾つかは実行してもいいかもしれない。

 

「まあ実を言うと俺にもよくわからないんだけどな」
「は?」


 呆れた目で見られるが仕方ない。


「とりあえずは試しに膝を折らせて僕は貴方の物ですとでも言ってもらおうと思ってるが」


 果たしてそれで満たされるのか。

 

「満足するまでそんな茶番を続ける気か」
「いい暇つぶしになるし、時間はあるからゆっくり考えるさ。物事は考えてる間が一番おもしろい。ああ、そうだな。俺の言葉がないと動けなくなったら、とでもしてやってもいいんだが、それだとマリオネットを家に飾ることになるな」

 

「可哀想だな」
「全くだ。だが実際俺は膝を折った時点で満足しそうな気もしてるんだが」

「哀れだな」


 手に入れたら興味がなくなるのか。
 本当に手に入れたいだけらしい。

 


「お前があいつのものになってやる気はないのか」


 ぐったりした気分で投げやりに言った。
 返ってきたのは心の底からの疑問だ。

 

「何故?」

 

 

 

 

 楽しみは長引く方がいい。


 だからもうしばらく墜ちてこないで。